其の少年の手は、剣を取る為に在るのではないかと思った事があった。

 彼の手の中に剣があるとき、其れは恐ろしくも美しくもあり、まるで生命を持ったものかのように煌いて見えた。其れを振るう彼自身もまた、同じように。
 彼は少年の容貌をしながらも、その尋常ならざる強さと躊躇いの無い剣使いから、自分達と敵対する者達からは『鬼子』とも『鬼神』とも揶揄されていたのを知っている。
 自分もまた、心の何処かで剣を手にした時のその力と姿を恐ろしいと思いつつも、此の世の物で無いような其の姿に魅せられていたのかもしれないと、思う。

 しかし其の少年の腕と身体は日を追う毎に細くなり、恐らく其れは最早剣を握る事すら出来ないであろう程に、脆くて果敢無いものに成っていた。
 其れの意味するところは考える迄も無い程、唯ひとつしかない事は明白で。
 その日々弱り、薄くなっていく姿を目にする度に、酷く胸が詰まった。
 彼自身が其れを理解してない筈はないのに



 それでも、何ひとつ少年は言わない

 泣き言すら




  魂殿




「沖田さん、これ…羽織なんですけど良かったら使って下さい」

 夕餉の膳を下げに離れの沖田の自室に訪れた際、山崎はなるべくさり気無い風を装って、彼に一枚の羽織を差し出した。
 真新しい、濃紺の地の羽織。
「羽織?」
「ええ」
 今夜の沖田は比較的体調が良い様で、布団の上で上体を起こしていた。
 その顔色を見遣って山崎は心の中で安堵する。
「これからの時期冷えるでしょう?冷えると身体に障りますから、良かったら使って下さい」
「あァ」
 もしかしたら迷惑そうな顔をされるかもしれないと思っていたのたが、沖田は薄っすらと微笑んで、素直に目の前に差し出された羽織を受け取った。
「ん…有難な」
「いえ」
 以前は感謝の言葉も労いの言葉も、殆ど口にする事など無かった少年が、最近は素直にその言葉を口にするようになった。
 それはその言葉を掛けられる自分にとっては嬉しい事の筈なのに、どうしてだかその言葉を聞くと酷く切ない、息苦しいような気分にさせられた。


(だってまるで)


(遺言みたい、だ)


 馬鹿な事をと思い、山崎は軽く頭を振った。
 馬鹿な事だと思うけれど、今それを打ち消すだけの強さも力も無いのだ。自分にも、沖田にも。
 亡き姉と同じ病に侵された彼は、今一体何を想ってるのだろうと、山崎は思う
 枕辺にまるで護りのように置かれただけの愛刀も
 病に蝕まれて其れを手にする事ですら困難になった自身の身体も
 最早沖田にとっては、全てが取るに足らない、どうでもいいものと思っているかのように見えるのだ。

 彼はなにも言わない

 泣き言も、恨み言も、未練がましいことも、本当になにひとつ
 徐々に削りとられていく己の命を確実に感じながらも、否、感じているからこそなのだろうか。
 生に執着する言葉など、唯のひとつも口にせず、全てを甘受しているように振舞う。
 人の死は敵であろうと味方であろうと関係なく、其れは自分達にとってはごく日常の事柄だ。確かにそうではある筈なのに、、緩々と其れに向かっていく少年の姿は如何して此処まで自分を息苦しくさせるのだろう。
 せめてなにか言ってくれれば、どんな辛い言葉でも恨み言でも構わないから言ってくれれば、自分の此の息苦しさも和らぐかもしれないのにと、勝手な事を思う。

「山崎ィ」
 不意に名前を呼ばれて現実に引き戻される。
「は、ハイ?」
「まさか此レ、お前が縫ったの?」
 渡された羽織を手にとって、繁々と眺めていた少年が気がついたように尋ねた。
「ええ。あ、スイマセン。やっぱりちょっと…不恰好ですよね」
「いんや、そんな事ねぇよ」
 ふーんお前がねぇと呟いて、また手の中の羽織に目をやった。
 些か不揃いの縫い目を撫ぜながら言う。
「山崎は器用だなィ」
「そうですか?」
「うん、結構お前って色々な事出来るし知ってるよな。こんなん自分で作るなんて、俺ァ考えた事もねぇや」
 凄ぇなあと、素直に感心する様子は小さな子供のようで、実際の年齢よりも幾分か彼を幼く見せた。
「ま、お前の場合色々出来はするけど、それで逆にただの器用貧乏になっちまってる気もするけどなァ」
「はは…、そうかもしれませんね」
「でも、それも悪くないんじゃねェ?」
 縫い目を撫ぜる指先が、ぴたりと止まる。
「…沖田さん?」




「俺は、」






「剣しか 出来なかったからなァ」


 静かな空間に消え入るように、聞こえた。

 其の少年がぽつりと呟いた言葉は、既に過去を示すものでしかなくなっていて
 僅かに揺らいだように見えたその目は、まるで遠くを見ているようだった。


 其の言葉を聞いて、ぼんやりと、思う




 嗚呼、違う
 受け入れてるのでもなく、ましてどうでも良いわけでも無い。ただ



 此の人のこころは既にもう 此処には無いのだ、と。







 ひとつ、大きな息をついた。





2006.9.09




いや、総悟って本気で剣しか知らない子っぽいなあとか常々思っていた訳で。
そんな子が剣を持てなくなったらどうなるんだろうとか、そんな風に思った訳で。
当初の予定ではもっとぼんわりした山+沖話の予定だったんですが、おかしいなあ(私の頭が)。
だいたいこれ山崎の意味あるの(自主規制)