お願いだから、あのひとに 其の手を伸ばして

 そうしてくれれば、俺はなにも要らないから



 だから





其の手に 参





 また強い風が吹いた。

 銀色に光る切っ先が掠めて、ぱらりと真黒な髪が数本散う。


「なんで、抵抗しないんですかィ」

 咄嗟に抜かれた俺の刃を向けられた土方さんは、それでも臆するわけでもなく、ただ微動だにしないで立っていた。
 俺にはどうせこの人を斬ることが出来ないと高を括っているのか、それとも本気で斬られても構わないと思っているのか、どちらにしろ腹立たしい事にかわりは無い。

 莫迦なことはするなと、好い加減にしろと怒ればいいのに、どうしてそうしないんだろう


「お前こそ、俺を斬りたいんじゃないのか」
「ー…っ」


 淡々と囁かれた言葉に、俺の方がびくりと震える。
 向けた銀色の切っ先が、かたかたと情けなく揺れるのが自分で分かった。

 ああそうだ

 あとほんの一寸前に踏み出せばいい。簡単なことじゃないか。
 今土方さんは完全に俺の間合いの中に居る。避けようったってこんな足で避けられる筈がないんだから、それで全部終わるんだ。
 なのに、刀がずしりと重くて言う事を聞かない。

 ずっとずっとこのひとが憎らしかった、嫉ましかった。いっそ死んでしまえと何度も思った。そうしたら俺は楽になれるってそう思ってた、だけど

 花の名前を持つ俺の愛刀。
 いつでもコイツは俺の身体の一部みたいに動かせる筈なのに、どうして今はこんなに重いんだろう。
 今まで一度だって、誰にこの刃を向けたって、重いなんて感じた事は無かったのに。
 まるで意思を持ったみたいに、どうしてか俺の邪魔をする。

 目の前のひとは黙って俺を見詰めているだけで、なにも言わない

 もういやだ、苦しい
 息ができない



「馬鹿土方、巫山戯んな…っ」


 気が付いたら、俺はまるで駄々っ子が癇癪を起こすように大きく首を左右に振って叫んでいた。
 かしゃん、と乾いた音を立てて刀が地に落ちる。

「…なんで、なにも言わねェんです。俺にはなにも言う必要がないってんですかぃ?アンタはいっつもそうだ」

 とまらない
 なんだよこれ、俺、凄いカッコ悪いじゃないか

 なにかが堰を切って溢れ出すかのようで、自分でも情けなくて仕方無いのに止められない。
 いっそいつもみたいに怒鳴りつけて止めてくれればいいのにと思うのに、目の前の人はなにも言わない。
 真っ黒い、夜の闇より黒い強い瞳で黙って俺を見詰める。


「肝心な事はなんも言わねェで、人の事なんかおかまい無しでなんでもかんでも勝手に決めちまって好きにして」


 違う
 こんなの、ただの八つ当たりだ。

 ちゃんと分かってる
 この人が悪かったことなんて、今まで一度だってなかったんだ。
 悪くないのに、ぜんぶ俺のただの我侭だったのに、この人は一度も俺を責めなかった。ずっと言い訳もなにもしないで、ただ黙って俺の我侭を受け止めていた。

 いつも、いつもだ。

 そして今も
 俺のこんなドロドロで汚い、どうしようもない餓鬼で身勝手な感情を全部受け止めようとしている。

 どうして


「俺ァずっと前から、アンタのそういう所が大嫌いだったんだ」

 放っておけ
 放っておけ

 こんな、どうしようもない馬鹿で勝手な餓鬼の事なんて、知らないと言えばいいのに


「どうして、アンタは」

 泣いてる訳じゃない

 姉上が死んだとき、俺は充分過ぎる位に泣いたんだから今更涙なんて出やしない。出る筈が無い。
 だけどまるでしゃくりあげてるみたいにひくりと喉が震えて、咳き込んでしまってそれ以上言葉が出なくなった。

 情けなくて嫌で俯いてしまった俺に向かって、ゆっくりともう一度手が伸びてきた。
 其の手は今度は有無を言わさず頭ごと俺を引き寄せて、その広い肩口に額を押し付けた。
 ふわりと煙草のにおいが鼻を掠める。

 俺はそのまま動けずに固まっていたら耳元でそうご、と名前を呼ばれた。
 どうしようもないくらいに、優しい声だった。

 まるで、姉上が俺を呼んでくれるときみたいに。

「お前は、何も悪くねぇ」

 手の主はそのままの声色で、俺のこころなんてぜんぶ見透かしたみたいにそんなことばを囁く。

 ああ、狡ィや

 そんな風に言われたら、俺はやっぱりどうにも出来ないじゃないか
 なんでもかんでも受け止められて赦さちれちまったら、俺には憎みきることも心の底から嫌いになることも、どうにも、なんにも出来やしない

 結局アンタは、俺が望んでるようになんてなにひとつしちゃくれないんだ。

 本当に、なんて狡い


「…ひじかたさん」


 手から伝わる体温はあたたかくて、やさしい。
 不器用で、すごくいびつだったけれど、それでもこんなに真っ直ぐに俺に与えられる

 不意に身体から力が抜けて、でも顔を上げることも出来なくて、どうしたらいいか分からなくなって、気が付いたら俺は小さな子供のようにただ目の前の黒い着物の袂を掴んでいた。
 そうして、掴んだ着物が皺になるくらいに強く握り締めて、俺は俯いたままの姿勢で、風に掻き消えそうな位の声で呟いていた。


「俺、やっぱアンタの事、一生嫌い」
「…ああ」

 目の前のひとはそれ以上なにも言わずに、くしゃりと俺の髪を撫でた。
 大きな手、だった。




 伸ばされるその手は
 俺が思っていたよりずっと優しくて、泣きたいくらいあたたかかったけれど
 でも決して俺は触れない、手は伸ばさない
 伸ばしてはいけないんだ

 だってそうしてしまったらきっと、今度こそ俺はひとりで立てなくなってしまう気がしたんだ





(貴女にこそ相応しかった其の手は、俺には酷く似合わない)







2007.09.03





痴話喧嘩以外のなにものでもないように見えますが、ひとまず終!(無理矢理っぽい…)
ミツバ編後のこの二人はどのように接したのか、真正面からぶつかって欲しかったとか
己の妄想と願望が合わさった話でした。
お待ち下さった方どうも有り難うございました。

もうミツバ編後から一年経過しちゃいました、が…。