「はしらーのきーずーはおととーしーのー」


 麗らかな或る日の午後。
 桜の花が満開の頃を迎えた公園に、些か間延びした調子外れな歌声が流れている。




「沖田さん、それ歌が違いませんか」
「あん?そうだっけ」

 その微妙に気怠げな調子の、やや的外れな歌を耳にしながら山崎は声の主に苦笑しながら言う。
 山崎の言葉に歌い主の首が傾げられ、彼の持つ印象的な蜂蜜色の髪がさらりと揺れた。

「その歌は端午の節句の場合でしょう。今の場合はさくらさくら、とかじゃないですか」
「んん、どんなんだっけそれ。まァ細かい事は気にすんなィ」

 少年は端正な顔立ちに似合わぬ江戸弁で言いながら欠伸をひとつ。そうして今度はごろりと茣蓙を引いた地に横になる。
 そんな年下の上司の様子を見て、山崎は内心溜息を吐いた。

「ところで沖田隊長、此処に何しに来たんです?」
「ご挨拶だなァ、お前と同じ花見の場所取りに決まってんだろーが」
「いや、俺は副長命令で此処に来てますから仕事の一環みたいなもんですけど、アンタは違うでしょうが」

 毎年この時期になると行われる真選組の恒例行事に、花見と称した宴会がある。
 この花満開の時期、花見の人間で賑わうこの場所で数十人に及ぶ組の人間の収まる場所を確保するのもそう容易な事ではない。故に明日予定されてるその行事を恙無く執り行う為、山崎は直属の上司にあたる副長の土方に命令され場所取りに来ていた。
 自分はそうだが沖田は違う。山崎の記憶に相違なければ、沖田は本日は通常通りの勤務の筈だ。

「じゃあ俺が代わってやらァ、なら文句無えだろィ」
「いやいやいや、そんな事勝手に決めたら俺が副長にどやされます。つか殴られます。大体、沖田さん夜に交代が来るまで此処で場所取りしてられるんですか?」
「あー…そりゃ面倒臭えなァ、やっぱやめた」
「ほらやっぱりー」

 やめた、と言いながらも沖田は隊務に戻る気はないらしい。相変わらずだらし無く四肢を伸ばした侭、姿勢を変える様子は見られない。
 とはいえ彼にはどうにかして本日の本来の隊務に戻って貰わねば、後に土方からどんな制裁が下されるか分かったものではない。沖田ではなく山崎が、だ。
 大体山崎自身元々今日のこの時間は勤務時間外の筈だったのに、勤務中の隊士にはそんな時間を割かせられる余裕が無い為、上司命令で否応無しに借り出されているのだ。

「副長に怒られますよ」
「ちっとくらいいいだろ。こんな天気の良い日にゃテロリスト連中も大人しく休んでりゃいいんでィ」

 そう呟いて瞼を閉じた沖田の顔色は木陰に翳ってよく分からないが、青白く心なしか良くないように見える。
 その色を見て、次を言いかけた思わず山崎は口を噤んでしまう。

 沖田は確かに普段はサボってばかりいるが、一番隊切り込み隊長としての、本当に彼の力が必要な時はむしろ進んで前線に立ち、黙ってひたすらに剣を振るうのを知っている。
 数日前も捕物があり、沖田の率いる一番隊は出動していた。
 そしてその時もこの少年は同じように剣を振るっていたのだ。

 不平のひとつも言わずに、躊躇い無く誰よりもその身体を血に塗れさせて。

 それを知っているからこそ、近藤などは沖田の平素の勤務態度に対して感心は出来ずとも、あまり強くは言えないのだろう。

 自分の隣にいるのは真選組最強の剣士である少年。
 いまは双眸が閉じられている為か、山崎の目には彼は普段にも増して幼く映る。
 黒い隊服に身を包み、帯刀していることを除けば普通の、とても屈強そうには見えない子供だ。

(…まだ、普通に遊びたいだろう年頃なのになあ)

 廃刀令ですっかり剣も廃れてしまった現在、普通沖田位の年頃の少年ならば人を斬ったり斬られたり、なんて事は遠い世界の話のように捉えているのが普通だろう。
 人を斬るどころか、真剣を握った事があるかどうかすら怪しいものだ。
 実際、組内にだってまだ人を斬った経験が無い隊士だっていくらも居る。




「さくらって」

 不意に小さく聞こえた声に、内に意識を飛ばしていた山崎は驚く。
 見ればてっきり寝ているのかと思った沖田が、薄目を開いて真上の花を眺めていた。

「植える時に根元に死体埋めるんだよな」
「はい?」

 いきなりの言葉に思わず素っ頓狂な声を出した山崎を、沖田は瞳だけ動かして見る。
 その色素の薄い目にどきりと心臓が跳ねる感覚がするが、どうにかやり過ごして言葉を続けた。

「って、そんな訳ないでしょう。何処からそんな出鱈目な知識仕入れて来るんですか」
「違うんかィ?」
「違いますよ。それはあれでしょう、根元に死体が埋まってるから桜の花は薄紅色だっていう迷信話」
「迷信かィ」
「…当たり前じゃないですか。沖田さん何処まで本気で言ってるんです」
「なぁんだ」
「なんで残念そうなんです…。大体もしそうだったら此処なんか墓場ですよ」
「確かになァ」

 沖田は寝そべった体勢の侭、さも可笑しそうにくつくつと喉の奥で笑う。

「でも結構アリかもしれねェって思ってたんだけどなァ。血や怨念を吸うから見事に咲くって、なんか説得力あんじゃん」
「本気ですか」
「さあ?まァ死んだ奴に実際何が出来る訳でも無ェだろうけどなァ、もしかしたらって話」

 笑いながら沖田はころりと身体を転がして体勢を変える。  


「それに、こんだけあったら一本くらいは本当にあるかもしれねえじゃん。いちばん立派なやつの下とか」
「いちばん立派なやつ、って…」
「此処」

 まるでその言葉を合図にするかのように、一際強い風に花が揺れる。

 ざわざわ、ざわざわと花と風が鳴る音

 喉の奥に笑いを張り付かせた侭、沖田は指先で地面を撫ぜた。何処かその表情はどこかうっとりとして見えるのは、気のせいだろうか。
 山崎はその仕草と表情に、息を呑んだ。

「−もう、止めて下さいよ」
「何お前、怖いの?」


 ぞくりと背中の粟立つ感覚。
 なにかで同じ感覚を抱いたことがある。

 これは沖田が人を斬るところをはじめてみた時と、おなじような。


 畏怖なのか魅せられているのか、もしくはその両方のような、言い表せぬ感覚



 その空気を感じているのかいないのか、沖田は目線を山崎に戻して『俺結構さくらは嫌いじゃねぇなァ』と口角を上げて笑んた。





「山崎ィ」

「はい」
「俺、そろそろ戻るわ。バレっと土方さんがまたウルセーし」
「−そうですね。あ、隊長」

 身体を起こして立ち上がりかけた沖田に向かって腕を伸ばし、山崎はその柔らかい色彩の髪に触れた。

「何でィ」

 髪に触れてきた山崎の手に、沖田は表情ひとつ動かさずに訊ねる。
 向ける笑みがぎこちないものにならないよう、極力平静を装いながら山崎は応えた。


「花が、髪に付いてましたから」
「…ふぅん」

 山崎の言葉に沖田は小首を傾げる。
 それは仕草だけみればあどけなく、酷く子供っぽく見えるものだった。



 (もしも)

 今一瞬山崎の脳裏に巡った思考
 きっと、此れは考えてはいけないことなのだろう。

 ただ、ふと思ってしまった。


 もし彼に、天から授かった剣の才が無かったのならば、いまどうしていたのだろうかと。


 今のように剣を振るうことなく、血に塗れることもなく、またそれを知る必要もなく
 明日をもしれないような、死と隣り合わせの日常を過ごすこともなく
 ただ平凡に、平穏に何処にでもいる年相応の少年のように、日々を過ごして

 (もしかしたら、その方が)

 そこまで考えて、山崎は慌てて考えを打ち消すように頭を振った。

 馬鹿馬鹿しい


 『もしも』なんて考える事自体、少なくとも自分達にとっては無意味で無駄でしかないことを良く知っている
 現に沖田は天賦の物としか言いようのない剣の才の持ち主であり、真選組は彼の力を必要としていて
 沖田自身、この場にいる事を選んで、望んでいるのだ

 そんな考えは誰よりも沖田に取って侮辱以外のなにものでもないというのに


 そう思うとどうしようもなく申し訳ない気分になり、自嘲の念の篭った溜息を吐いた。
 気を取り直して上を見上げれば、今を盛りに咲き誇る花の群れが視界に映った。



 薄紅の空間

 確かに美しいが、飲まれるような凄みがある、と思う。

 無数の花がざわりと風に揺れる様は異質な世界にいる様な錯覚すら覚え、山崎は再び背中に薄ら寒さを感じた。


「沖田さん」


「ん?」
「いえ、お気をつけて」
「何でィ急に。変な奴」


 訝しげな沖田の言葉に山崎は笑い、立ち去っていく背中を見ながら頭の片隅で思う








 あの少年は矢張り何処か異質なのだと








花魑魅(はなすだま)





2007.04.10






 桜が咲く前から打ってた癖に、現在散り始めてますよ…!(遅)
 『鬼こごめ』と同列のつもりで、もっとおどろおどろしい話の筈だったのに、全然違う物になってました。
 自然の造形物は人の手の及びの付かないもので、おそろしいけど魅かれるみたいな。
 会話の一部は『Cafe吉祥寺で』(@ねぎしきょうこ)が元ネタです

 山崎は年齢がよく分かりませんが、一応二十代半ば〜前半かなという感じで。
 (土方よりちょっと下程度の印象)