今日は良い天気だ。
 上を見上げれば、胸が透くような青空が広がっている。


 こんな日はきっと、新しい門出を見送るには絶好なのだろう。





風晴れ時




 三年の受け持ちクラス最後になるホームルームを終え、この高校の教諭である銀八は屋上で一人立っていた。
 辺りには誰も居ない。普段は生徒が出入りを禁止していても屯っている場所だが、流石に今日はそんな輩はいないらしい。

 そう思って一服しようとポケットを弄った矢先、背後から鈍く重そうな物音がして振り向くと、ゆっくりと出入口の扉が開き、そこから見知った一生徒が顔を出した。


「おー沖田、お疲れさん」
「どーもお疲れ様です、旦那」


 現れたのは自分の受け持ちクラスの生徒で、恐らく遠目からでもさぞ目立つであろう明るい色の頭髪をした少年。彼の髪色は自分の銀髪と同様天然物らしいが、その目立つ色彩故に何度生活指導に睨まれていたことか。
 沖田と呼ばれた少年は、そのままひょこひょこと歩いて来て、銀八の隣に並んだ。
 少年は見慣れた、三年という期間を経てすっかり擦り減った感のある制服の学ラン姿。通常のそれに加え、本日は特別装備として、左胸には『祝・卒業』と書かれたリボンの付いた妙に安っぽい造りのブローチを付け、右手には濃緑色の細長い筒を持っている。

「あ、さっき教室でも言った気するけど、一応『卒業おめでとう』」
「一応ですかィ。じゃあ一応こちらこそ『三年間お世話になりました』、銀八の旦那」

 そう言うと沖田はいかにも形だけ、と言った体で、ぺこりとミルクをたっぷり入れた紅茶色の頭を下げた。
 そうして、頭を下げるだけ下げたあと、手にしていた卒業証書の入った紙筒をぞんざいにコンクリート剥き出しの地べたに置き、大きく伸びをひとつする。
 この生徒の不遜とも取れる態度は見知った瞬間からだったりするので、銀八は今更気にも止めない。
 どうやら自分はこの生徒に懐かれているらしいという自覚はあったものの、だからと言って沖田は従順な生徒という訳でもなかった。

「お前結局直らなかったな、それ」
「何が?」
「呼び方。『旦那』は止せってずっと言ってたろ」
「ああ」

 沖田は何故か銀八の事を『旦那』と呼ぶ。再三『先生と呼べ』と言っても一向に直す気配が無いまま今日に至っていた。

「だって、旦那は旦那って感じなんでさァ」
「んだソレ。よく分かんねー」

 一度他の教師や生徒の手前があるからと、実際はどうでもいい理由を告げたら、流石に他の教師や他クラスの生徒の前では呼ぶことはしなくなったが、それ以外の時は結局三年間『旦那』で通された。
 頑固というかマイペースというべきか、恐らく彼の性分はその両方なのだろうが。

 その沖田は、今は転落防止の為に張られたフェンスに手をかけて、手足をブラブラさせながら下の様子を眺めている。

「一人?珍しーね。多串君は?」

 ふともうひとり、自分の受け持ちだった顔の造作は整っているが、酷く目付きの悪い黒髪の男子生徒の事を思い浮かべて銀八は尋ねた。
 いつも彼と沖田は連れ立っていた印象があるが、今沖田が入ってきたきり、重く閉ざされた鉄の扉からは次の人物が入ってくる気配は無い。

「さァ、知りやせん」

 問いに対する沖田の返答は鰾膠も無く、銀八は苦笑を漏らした。
 確かに個々の人間なのだから、実際四六時中連れ立っていた訳でもないだろうが、それでも今の状態は見慣れない光景ではあった。
 三年間見てきた限りでは、仮に沖田が今のように一人で居たとしても、大抵あとから土方がやって来て、なんだかんだ文句を言いながらその手を引っ張っていくような、そんな印象がやたらと強く残っている。
 一度『本当に仲良いなお前ら』と呆れと揶揄い混じりに言ってやったら、『ただの腐れ縁だ』と返してきたのは果たしてどちらだったか。

「ああ、どっかあの辺じゃないですかィ?」

 沖田が億劫そうに指差す先を視線で追うと、校庭や門のあちこちにいくつかの人だかりが見える。
 それは別れと名残を惜しむ卒業生達か、それともその卒業生に花束か記念品でも渡そうとする在校生か、又は憧れの人からボタンでも貰おうと奮闘する女生徒の群れか。成程、そのいずれにしても、土方がその中に居る可能性は少なくない。

「沖田は行かなくていいの?」
「別にいいでさァ。人多いのあんま好きじゃねーし」
「そ」
「旦那こそ、担任の癖にいいんですかィ」
「俺はいいんだよ、こう…此処から巣立つお前らを見送ってんだから」
「よく言うー」

 喋りながらも、この場に立っている沖田は何処か所在無さげなのは気のせいだろうか。
 視線は眼下を見据えた侭だから、『あの辺』と適当そうに言ってはいたが、もしかしたら沖田の目には土方が何処にいるのか映っているのかもしれない。


「お前、四月から地元の大学だっけ?」
「はい」
「そっか、へえー」
「へえーって旦那、アンタ担任だってのに生徒の進路忘れたんですかい」
「いやいや」

 呆れ顔で自分を見てくる沖田に、ちゃんと覚えてますよ?俺教師の鑑だもん、とへらりと笑ってみせる。
 そう、それで確か土方は東京の国立大に進学を決め、地元に残る沖田とは当然違う進路を行く事もちゃんと覚えている。

 彼等の『腐れ縁』が何時頃からの物か迄は知らないが、此処に来て違う道筋を辿り出したという事実も。


「そうかそうか、ま、あんま頑張んなくていーから、程々に適当ーに上手くやれや」
「そりゃまた、随分と教師の台詞らしくないですねィ」

 でも凄ェ旦那らしいや、と沖田は笑う。
 あまり表情を崩す生徒では無かった覚えがあるが、今見せるその顔は、年齢よりやや幼く見えるなと思った。



 今日は快晴だ、だが風も強い。


「あのー、煙草吸っていい?」
「どーぞ」

 大きく忙しなく動く空気の流れに、沖田の左胸を彩る白と赤に縁取られたブローチのリボンが揺れ、銀八が点火した煙草の煙も、立ち上る前に風にたなびいて掻き消えていく。
 ゆっくり肺まで吸い込んで満たした紫煙を、銀八はふうと吐き出した。

「旦那、旨いんですかィ?それ」

 暫く銀八の手元と動作を黙って眺めていた沖田は、不意に口を開いて訊ねてきた。

「うん?あー…まあまあ、かな」
「ふーん、なら俺にも一本下せェ」
「『なら』じゃねーよ、何言ってやがる未成年」
「固い事言わねーで。旦那が言わなきゃ誰にもバレませんよ」

 『悪餓鬼』と称するのにピッタリな笑みを浮かべて、沖田は銀八に一歩歩み寄ってひらりと手を差し出す。
 トドメに『どうせ旦那だって俺等の時、そんなん守ってなかったでしょ?』とのたまった。その言い様は小綺麗な顔立ちをしているだけに、余計に憎たらしくも見える。

「おいおい、センセーは知りませんよ、折角貰った証書、早々に剥奪される羽目になっても」

 呆れたのと面倒臭いの半々の気分で、銀八は煙草を一本箱から出して寄越すと、沖田はにやりと笑って『火も』と催促までする。
 その性質は知っているつもりだったが、矢張り相当に図太い。銀八はいよいよ面倒になってきて、燃料切れかけの百円ライターも放って寄越してやった。
 受け取った沖田は、くすくすと笑いながら火を点ける。その動きには迷いが無かったから、随分手馴れてるなと思う。

「大丈夫ですって、そん時は旦那は教員免許剥奪ですから」
「何が大丈夫なのォ?!縁起でも無い事言うなよお前ェェ!やっぱ返せそれ」
「嫌ですぜ、一度貰ったんだからもう返しやせん」

 何が嬉しいのか、何処か得意気にせしめた煙草を咥えてフェンス際に近付こうとする沖田を、銀八は慌てて腕を引っ張って留める。

「馬鹿ですかお前、そんなトコ立って他の奴に見付かったらどーすんだ」
「あァ、そうでした」

 沖田は銀八の腕に引かれる侭、大人しく数歩下がって隣に並ぶ。
 銀八の吸っている煙草からはぼたりと灰が落ちた為、床に踏みつけて火を消してから二本目に予備のライターで火を点けた。
 隣からはうへえという小さい呟きが聞こえたから、どうやら煙草そのものには慣れていても、自分で吸うという行為は不慣れだったらしい。取り成すように肌寒い空気を吸い込む気配が伝わる。



「沖田ぁ」
「はい」
「寂しい?」
「いいえ」

 唐突な問いかけに、『誰が』とも『何に』とも言ってなくても、少年はこちらの言わんとしている事が分かったようだ。表情はうごかない。
 沖田は成績は優秀とは決して言えなかったが、頭の回転は速く聡い少年で、銀八は彼のそういう点は割と気に入っていた。

「はは、即答かよ」
「ええ。ウダウダ言ったってどうなるもんでもないじゃないですかィ」
「まあね」
「ずっと前から、いつかそのうち絶対こうなるんだからって、同じな侭の筈はないって。それが当たり前だって分かってたし。ー俺は」

 そこで言葉を区切り、再度紫煙を吸い込むと、沖田はごほりと咳き込みながら白いそれを喉から吐き出した。
 その煙もどんどん風の中に消えていく。


「だから、百歩譲ってもし寂しいんだとしたら俺じゃなくて、あっちの方でさァ」
「ああ」

 そうかも、と銀八はなんだか妙にその言葉に納得する。

「でもそんなの、きっと最初だけです」
「さあて、ね」

 それはどうだろうねと言う銀八の言葉に、嫌だなセンセーもそんなんよく分かってるでしょうと、沖田は微笑して呟く。
 そう言って口から離した煙草の、その赤い炎の先をじっと見詰めた。


「…旦那、これ返しますぜ。やっぱ俺にゃ全然味分かんねーや」
「いや吸いかけ返されてもな」
「いいじゃないですかィ、まだ吸えますよ」


 沖田は笑いながら銀八に手を差し出す。



 その表情は確かに笑っていたが、先刻とは裏腹に酷く大人びた笑みだった。




 (今日は 風が強い)






2007.04.05





 急にブームが来てしまい突発3Z話です。初なのに卒業ネタって…!(笑)
 そして妙に尻切れ感が強くてスイマセン。
 銀八さんに色々夢見ててスイマセン(謝ってばっか)。
 そもそも土方はともかく沖田は進学出来るのか大変疑問ですが…。
 実はこの前後の土沖話も妄想してるんですけど、書くかはどうかは未定です。