斬った奴等に赦して欲しいなんて思ったことはない
だから例え夢の中でも赦しを請うことは決してしなかった。
でもいつか
いつか俺も必ず『そっち』へ行くのだから
恨みも辛みも、忘れなくて構わないからどうかその時まで待っていろと、奪って逝ったものたちに、そう繰り返してきたのだ。
『そっち』の世界なんてものが、ほんとうにあるかどうかも分かりはしない癖に、ずっと。
粉雪の日
人間の生命など、呆気無いものだという
だけど、人間というものは案外しぶといものなのだとも、いう
間逆のことを言っているようだけど、それはどちらも間違っていない気がした。
何度も何度も、命の終わる瞬間をそれこそ厭きるほど繰り返し見続けてきた、だから見当違いの事を言っているとも思わない。
命というものは、脆くて果敢無くて、でも驚く程頑丈なのだ。
自分のほんの一太刀で、驚くほど簡単にその命を終わらす者もいたし
かと思えば、四肢の半分が無くなっても尚も生きている者もいた。
じゃあ今の自分はどうだろうか
四肢は繋がっている筈だけど、何度か撃たれたし斬られもした。言ってみれば重傷どころの騒ぎじゃない、まさに『生きているのが不思議』な状態なのだろう。
でもまだ辛うじてだけど息がある自分は、呆気無いのかしぶといのか、一体どちらだろう。
(は、滑稽だねィ)
自嘲の笑みを漏らす。
ぜい、と嫌な濁った音を立てて空気を吐き出した。
ごぽりと空気と一緒にあかいものも流れ落ちる。
(どうせ最期に見るなら、晴れた青空が良いって言ってたのは、近藤さんだっけ?)
自分に今分かるのは、遥か高みに広がる空がどんよりと暗く、今にも泣き出しそうなことくらいだった。
実際は、それすらも霞みはじめていて朧気であったのだが。
(そうだなァ、すこし分かったかな)
どうせなら最期には綺麗な空を見たい。
何処までロマンチスト思考なんだと聞いた時は呆れて、そんな時に空なんてどうでもいいでしょうなんて、酷く可愛気のない憎まれ口を叩いたけれど。
でもこうして見れば、成程どうせならその方が気持ちが良かったろう。
もしあったのだとしても、自分達には行ける筈もない
たとえば、極楽に行けるような錯覚を見れたかもしれない。
空気はつきんと張り詰めるようにつめたい。
それに反して身体は痛いのか熱いのか
苦しくて仕方無かったのに朦朧とする意識の所為か、だんだんそれも麻痺していく気がした。
先刻まで腹の辺りからどくどくと血が流れ出る感触も感じていたのだけれど、それも分からなくなっていた。麻痺したのか、それとももう流れ出る血も殆ど無いのかもしれない。
(あー勿体無えなァ。ただ垂れ流す位なら献血でもすりゃよっぽど有効なのに)
今まで一度たりとも献血なんて、そんな善行めいた事考えたことなかったくせに、可笑しな話だ。
もう一度苦く笑みを漏らす。
漏らしたつもりだが、実際はどうだか分からない。ただまたぜい、とかひゅう、という間の抜けた音が喉を通り抜けただけだったから。
もう自分の意思では指先ひとつ動かせそうも無い。
いや、そもそも今自分の腕はどうなっているのだろうか。ちゃんと繋がっているのだろうか?取れた覚えはないが、動かせないということは?既に首から下の感覚が一切失せている。
どうにか其れを確かめたいと思っても、厄介な事にその首すらも動かせないから見ることも叶わない。
周囲にいきものの気配は感じない。
撃たれても、斬られても、少なくとも自分の目に映った輩は仕留めた筈だ。気配を感じないということは、しぶとく逃げ仰せたか既に絶命しているということだろう。
(一足先に、お逝きなさったかィ)
それは自棄では決して無く、自分でも驚く位冷静に下した判断だった。伊達に今迄無数の人間を斬ってその最期を見てきた訳ではない、どう考えても自分はもうたすからない。
唯一の肉親であった姉はもういないから、その心残りが無かったことに少しだけ安堵する。
泣くかな、と思った。
子供のころからずっと、親のように兄のように接してくれたひとたちは。
(でも一般人に被害が無かったってんなら、褒めてくれっかな)
周囲に大きな被害が及ぶ前に避難はさせた筈だし、一人で奮闘したにしては今の状態は上々なのではないだろうか。
逆上した犯人が出した銃火器や爆弾で、ビルが少しばかり半壊したことなんてちいさなことだろう、きっと。
偶々ひとりで本来の予定とは違う、独自ルート巡回中にテロの実行に遭遇するなんて、それでどうにか市民は護りましたなんて我ながら警官の鑑ではないか。
きっと明日の新聞では自分は英雄扱いだろう。今迄散々一般市民には破壊の過ぎるS王子なんて悪評高かったけれど、今回ばかりは勲章物に違いない。
(…褒めてくれたことなんて、無かったよな)
近藤はどんな些細な事でも大袈裟な位に良く褒めてくれたけれど、その隣に瞳孔開かせて仏頂面で立つあの男は、只の一度もそうしたことは無かったと記憶している。
そこまで思って、軽く驚愕する。
(な、んで)
褒めて欲しいのだろうか。
そんな風に思ったことはいままで一度も無かった筈なのに。今更そんな事を思うなんてもしかしたらずっと、自分はあの男に褒めて欲しかったんだろうか。
褒めて、認めて、誇って欲しかったんだろうか。
(…餓鬼みてぇ)
だとしても。
こんな時に、そんな事に気付きたくはなかった。
今の今まで、自分でも分からないように伏せていられたのなら、其の侭気付かないで逝きたかった。その方が余程格好がついた、誰でもない自分自身に。
嗚呼、本当に何処までも癪に障る男なのだろうか。
遠くから喧騒がやってきた感覚がする。
耳障りな、でも耳慣れたサイレンの音と車のブレーキと、バタバタいう足音と怒鳴り声と。騒々しい人の気配が慌しく、でも確実に自分の方へ近づいてきた。
『そうご』と、名前を呼ばれた気がした。
「ひ 」
呼ばれたから、それに応えようと思った。
自分もその人の名前を呼んでこたえたかった。
だけど喉から出るのはどれもまともな声にはなってくれず、引っ掛かって上手く出ない。ひゅうひゅうと情けない、空気の漏れる音がするだけだった。
なんてもどかしい。自分は此処に。
がらがらと瓦礫を踏みつける音がする。
そして、だれかが自分のからだを抱きかかえてくれたと思う。
触れられる感覚はもう殆ど無くて分からないけれど、でもふわりと浮いたような気がしたから。
血と硝煙のにおいですっかり鼻なんか利かなくなったと思っていたのに、やけに強く、嗅ぎ慣れた煙草の臭いがした。
霧鐘に可笑しくなる。
だってこんな臭いくらいで安心するなんて、変だ。
声がする。
怒っているのか呆れているのか、よく分からない。ただ冷静さを酷く欠いているのだけは、伝わる声だった。
少し落ち着けよ、アンタは指揮官でしょう?
「…莫迦野郎っ」
震える声で、そんな言葉が浴びせられた。
なんだ、やっぱり褒めてくれないのか。
ひっでえの、と言いたかった。
そう言って、気が利かない上司だと笑ってやりたかったけど。
自分の名を呼ぶ声は、必死に絞り出しているかのようで、真坂この男は泣いているんじゃないだろうなと思う。
見てやって、もし情けない顔してたら思い切り笑い飛ばしてやりたいのに、もう空も何もかも暗く霞んでしまって碌に見えやしない。
惜しいことしたなぁ、と思う。
(困ったなァ)
ああ、あんなにいつか、遠くない未来にすぐ自分も逝くから、と
同じように斬ってきた人間にそうずっと繰り返して、くりかえしてきたのに。
なのに
まだいきたくないなんて、思ってしまった。
なんて未練がましい。
嗚呼やっぱりこの男の所為だ。
どうしてくれるんだ、最後のさいごまでどうして綺麗に決めさせてくれない?
やっぱりこの男は、何時も自分の邪魔ばかりするんだ
畜生、腹の立つ
「−た、さ ん」
動かせない腕がもどかしかった。
声に出来ない言葉がくやしかった。
涙なんて要らない
たったひとことでいいのに
そうしたら自分はきっと、もっと綺麗に逝けるんだ
(ねえ、俺は頑張りましたよ。だからどうか)
昏く霞んでいく視界に、きらりとしろいものが映った。
ちらちらするそれは雪のようだと思ったのに、どうしてだか温かかった。
2007.05.26
色々突っ込みどころ満載な話でスイマセン…。
そういや病ネタはあっても死ネタは考えたことないなあとか、思ってその…。
すれ違い土沖というか、沖田の片想いぽいというか。
打ってるうちにだいぶ予定が変わった内容になりました、不思議。