夜明け前の仄暗い空間で、僅かに身動ぎする気配があった。


 手にしていた煙草を灰皿に押し付けて目をやると、自分の布団を占領していたその影が、緩慢な動作で上体を起こしている。
 影は寝起きの所為かやや舌ったらずな口調で、ひじかたさんと自分の名を呼んだ。


「起きたか」
「えー…、今何時ですかィ?」
「まだ夜明け前だ、寝てろ」
「はァ、そうですか」


 自分より一回り小さい影は、怠ィなあとぼつりと呟く。
 そうして再び枕に顔を埋めると、あァ此処に在る物は布団や枕まで煙草臭いと文句を付けた。


「しっかし、ねえ。土方さんに衆道の気があったとは知りやせんでした」

 うつ伏せて枕に顔を突っ伏した侭、くつくつと喉の奥で哂う音が部屋に響く。
 其の少年特有の、やや高めの声音は些か耳に障った。

「莫迦言え。んな趣味は無え」
「へーえ」

 厭に成る程の哂いを含んだ声と表情で、子供は顔を上げてこちらを見た。
 今この状況でそんな事を言ってもまるで説得力が無いと自分でも思いつつ、ちらりと沖田の方を窺うと、いっそ病的に白い首筋に昨夜自分が付けた覚えのある紅い痕が見えた。
 其れは紛れも無く自分が付けたものだというのに、妙に生々しくて直視するのが憚られる。

 つい目線を逸らす己の態度と言葉に気を悪くした様でもなく、沖田は続けた。


「じゃあ是はどういった心境の変化で?」

 其処には非難や嫌悪の響きは篭っておらず、本当にただ好奇心から訊いただけという風だった。柄にも無くたどたどしい土方の態度を見抜いてか、その朽葉の目は年齢以上に幼い、子供っぽい愉しげな色を帯びてくるりと動いている。
 更には追い討ちをかけるように女には不自由してないでしょうに、と続けた。
 この状況でまず言うことはそれなのか。
 土方はバツの悪さを感じつつも、子供のその神経には呆れと感心を同時に抱く他無い。
 止まない密やかな哂いに合わせ、捲れた布団から曝け出された裸の、やたらと白い背中が小刻みに震え、艶やかな蜜色の髪がさらさらと流れた。
 相手の表情までは敢えてよく窺わなかったが、きっと皮肉そうに形の良い唇を歪めて嗤っているに違いない。

「お前こそ」
「俺もそういう趣味はありやせんぜ」
「なら其れはそっちもだろ」

 土方の言葉に沖田はああそうですねェ、と素直に頷く。
 質問に質問で返すのは、我ながら小賢しい手だと思ったが、然し『どうして』なんてこちらが知りたい位で。

 確かに昨夜は二人とも酒が入ってはいたが、お互い前後不覚に為るほどの酒量では無かったのだし、目の前の彼は自分より余程酒に強いのだ。
 こう為るに能って、相手に対し無理や無体を強いた覚えも無かったが、だからと言って行為全てを酒と酔いの所為にするには余りにも相手が悪いし、それこそ卑怯だ。

 なにより、生半可な思いで手を出して良い相手では無かったのだ。少なくとも土方にとっては。

「んー。ただ…そうですねィ、俺は敢えて言うなら興味があったというか」

 そんな複雑な人の心境を知ってか知らずか、沖田はけろりとした顔でそんな事を言った。

「興味だァ?」
「えーまあ。どんな事でも経験しておくべきだって、良く言うじゃないですか」

 ねえ?と土方を見、沖田は小首を傾げる。その仕草は場にそぐわない程幼く映った。
 その言葉自体には確かに一理あるが、それは事と場合によるだろう。大体お前は今後此の経験をを何がしかに役立てる予定でもあるのか、と訊いてやりたくなった。
 だが下手な事を言うと薮蛇に成りかねず、土方は渋い顔をしてぐしゃぐしゃと己の前髪を掻き毟る事しか出来なかった。

「まァ、だからンなあからさまにしくじった、みたいな顔しねェで大丈夫ですよ。女みてえに責任取れとか言ったりしませんし、後々アンタの餓鬼が出来たとか言う事もまず有りませんから」
「…怖気の走る事言うんじゃねえ」

 そんな風に顔に出ていたかと内心焦りながらも、さらりと言われた一部のとんでもない発言に顔を顰め、心底嫌そうに言ってやると、沖田は今度こそ遠慮無くクククとさも愉快そうに哂った。
 そうして、アンタは妙な処で糞真面目でいけねェや連帯責任でしょうこんなん、と事も無げに言ってのける。とても十代の台詞だとは思えない。
 呆気に取られる程、あまりに平然としたその様を見ていると真坂この子供は何時もの悪戯の延長線で、ただ自分を困らせる為だけにこうしたのかもしれないとまで思う。
 流石にそうは思いたく無いが、この態度を見ていると否と断言も出来なくなりそうでかなり情けない。


 見れば相変わらず沖田は読めない表情をしていて、土方と目が合うとにいと口角を持ち上げて哂った。

「本当、お前は理解に苦しむな」
「そりゃあお互い様でしょう」

 つい声に出して呟いたら、あっさりと返される。
 可愛く無え奴だとぼやくと、そいつは光栄でと来た。全く、何処までも口が減らないのは何時でも変わらないらしい。


「お前、なあ」
「はい?」
「…なんでもねえ」


 はあ、と溜息にも似た息を大仰に吐き出し、土方はもう一度ぐしゃりと髪を掻き毟る。
 昨夜は霞掛かった意識の中で、それでもはっきりと目の前の彼に対し愛しさにも似た感情を抱いたというのに、肝心の相手が此れではどうと言う事も出来やしない。
 いっそ何もかも気の惑いで気の所為だという事にして、蓋をしてしまった方が懸命な気さえした。



 言葉など交わさずとも、一度肌を重ねれば相手が分かるなどと言う。
 誰が言ったのか知らないがそんなのは出鱈目も良いところだ、と苦く感じる。
 少なくとも目の前の子供には当て嵌まらない、肌を重ねる前以上に何を考えてるのか分からなくなったのだ。

 こんな子供相手に全くなんて様だ、と思う。



 苦いものを飲み込むような気分で、土方は傍らにある煙草に手を伸ばした。









文目の間(あやめのあわい)




2007.08.02






 ちょっと出来心(私の)で、うっかりして出来ちゃった土沖。
 土方がヘタレになり過ぎた上、往生際悪くてごめんなさいという…。
 実は対で沖田視点の話もあったりします。