「出張、ですか」
「ああ。これから出る」


 枕辺に座る土方は、ましろい寝間着姿で横たわる彼とは対照的に黒い隊服をかちりと着込んでいる。
 出立の前に離れで臥せている沖田の様子を見に来ただけで、既に必要な荷物を纏め出立は何時でも出来るようにしてあった。

「どれくらい?」
「二週間」
「ふうん」

 布団に横になった侭己の問いの返事に気の無いような相槌を返した沖田は、首をすこし動かして土方の傍らの黒い鞄を見遣った。
 かと思えば急に手をつき上体を起こそうとするので、慌てて土方が其の動きを制すると、途端に相手は不服そうに口を尖らせる。

「少しだけ、ですよ。寝てばっかで好い加減背中が痛いんでさァ」
「…」

 更に床擦れでも出来たらどうしてくれる、とぼやくその言葉に、一瞬返答に詰まってしまった。



 数ヶ月前、捕物中に沖田は大量の血を吐いて倒れた。

 その時は危ういながらも一命を取り留めたが、かと言ってその後容態が良くなる訳でもなくずっと床に臥した侭だった。だから沖田の言い分も多少は分からなくもない。
 申し入れに対し土方は一瞬思案したが、覗き込んだ顔色がそう悪くは無い事を確認すると、仕方ない少しだけだぞと釘を刺して、手を伸ばしなるべくゆっくりとその身体を抱えて起こしてやった。

 取った腕の細さに瞬間ぎくりとする。

 腕だけではない、支えた背もやけに明瞭りと骨が浮立っていて、寝間着越しにでも其の硬い感触が掌に感じられる。
 起こされた沖田は身体を解すように、手前に軽く伸びをした。裾から覗いた手首も筋張って、矢鱈と細い。篭りきりで碌に日に当たっていない所為もあってか、青白いいろをしている。
 触れると尚、目に見て分かる以上に沖田が痩せ衰えていっているのは明らかで、その細さと白さに彼の容態は快方に向かうどころか悪化しているという容赦無い現実を、改めて思い知らされた気がした。

 到底再び剣が持てるようになる身体だとは思えない。


 その事実にざわりと土方の胸が粟立つ。



「いいなあ、京都かァ。俺行ったことねーけど、今の時期あっちは良いって言いますよねィ」
「馬鹿。仕事だ」
「そーだ。土産は生八つ橋でいいですぜ?肉桂のやつ。あと俺食ったことねーからあの胡麻の黒い奴も。苺のは時期じゃねーですよね。それと抹茶プリンと薄荷の金平糖とー」
「おま、食いもんばっかだな。そんな食ったら腹壊すぞ」
「少しくらい平気ですよ、ねえいいでしょう?」
「時間があったらな」
「無い時は時間を作って下せえ」

 すんなり希望を聞き入れられた事に満足したのか、珍しく沖田はにこりと笑んだ。

「ああ、浮かれてあんま羽目外し過ぎたりとかしねーように、気ィ付けなせえよ副長殿?アンタは別にどーでも良いけど、下手されたら真選組まで恥になっちまう」
「誰がするか。だから仕事だっつってんだろ、ったくお前はちゃんと人の話聞けや」

 努めて呆れた顔を作り軽く蜜色の頭を小突いてやると、沖田はへへと悪戯子のように舌を出した。

 なにも気付いてなどいないような顔をして、彼は笑う。

 この子供は昔から良くも悪くも他人の感情の動きにおそろしく敏感だった。
 故に、今の土方の心情など当然のように見透かしているのだろう。
 心情も、状況も、なにもかも見透した上で知らぬ振りを決め込み振舞う。
 子供に不釣合いな程のその聡明さは、もしかしたら自分はずっと苦手だったのかもしれない、と思った。

 いっそ見苦しい程に取り乱してくれた方が楽かもしれないと思うのは、只の自分の傲慢な願いだというのは承知している。だが此処まで淡々と潔く居られると如何したらいいのか、此方の方が余程分からなくなりそうだ。
 沖田といい彼の姉といい、一刻一刻と衰えていく自分の様を恐らく誰よりも明確に理解していて、何故そうも潔く居れるのだろう。

 不意に締め付けられるような息苦しさを覚える。
 それと同時に目の前のひとに触れたい衝動に駆られ、殆ど無意識に手を伸ばした。其の侭さらさらと流れる手触りの良い蜂蜜色の髪を、梳くように軽く撫ぜる。
 昔から矜持の強かった彼は、特に土方からこのようにされるのをあまり好んでいないようだった。だから土方もそうすることは滅多になかった。厭がる理由を敢えて確かめた事は無いが、子供扱いされていると思っていたのかもしれない。
 沖田は最初驚いたように目を見開いたが、黙って土方のするようにさせていた。撫ぜる掌の感覚が心地良いのか、朽葉の瞳を猫のように細める。

 時間にすればほんの僅かの時そうしていたが、廊下から小走りに気配が近寄ってきたのに気付き、土方は手を止め其方に目を遣る。直ぐに障子戸の向こうに人影が映り、遠慮がちな声が『副長そろそろお時間です』と告げた。
 其の声に直ぐ行くから車の準備をしておけと、短く返した。


「二週間、でしたっけ」
「予定はな」
「結構長いですね」
「直ぐだろ」
「ええまァ、そうですね。あー、なんでしたらもっとゆっくりして来て頂いても俺は全然構いませんぜ?」
「そりゃ暗に帰ってくんなって言いたいのか」
「いやいやァ、土産は楽しみにしてまさァ。そんだけ先に飛脚で送って貰えりゃあそれでいいですから」
「舐めてんのか」


 返事を返した癖に、どうしても手を離せない侭でいたら沖田の方が促すように言葉を紡いだ。
 改めて沖田と目を合わせると、彼は又薄っすらと笑んだ様に見えた。

「…土方さん、もう行きませんと遅れますぜ」
「ああ」

 さらり、と指と掌に伝わるこの感覚を手放すのが酷く名残惜しい。

 出来ることなら今沖田を残して江戸を離れるのは避けたかった。
 沖田の身体はたとえ今日は穏やかに落ち着いていようとも、何時状態が急変しても可笑しくないような状態で、恐らく当人は周囲以上に其れを承知している筈だ。彼の姉も、そうしてあっという間に逝ってしまったのだから。

 指先を彷徨わせた侭でいたらはやくいかないと、と再び言葉に出さずに促された。

 分かってはいる。
 医師でも無い自分がいくら傍に付いていようとも何が出来るわけでもないのだし、他に成さなければならない役目も立場もある。親の死に目に会えなくても当然のようなこと職業柄、まして副長職の自分が役目を放棄するなど以っての他だし、第一沖田がなによりもそんなものは望んでいない。

 だけれど、彼から離れる事をおそれている自分を自覚せずにはいられなかった。


「ひじかたさん」

 再度静かに呼ぶ声に促され、のろのろと手を離す。
 落ち着く為に息を吐いて、ちゃんと大人しくしてろよと形ばかりそう告げてから立ち上がると、はいはいと笑って子供は頷いた。
 鞄を手にし、もう一度彼に二言三言言葉を残すと躊躇いを振り切るようにがらんとした部屋を後にした。




「いってらっしゃい」


 障子戸を閉める瞬間、ちいさく背に届いた声に思わず振り向くと、見たこどもの顔は相変わらず穏やかに笑っていた。


 笑っていた侭なのに、俄かに頭の中で警笛が鳴り響く音がきこえた。
 まるで別れを告げられたような気が、したのだ。



 『さようなら』






(いつがさいごになるか、わからないので。つたえて)





終幕の予告




2007.09.12







いきなり変な話ですいません(自覚はあります)。
余談ですが京都好きで、時々とてもいきたくなります。特に秋の京都は行ったことないので行ってみたい。
あ、薄荷の金平糖は別に京都に限らないと思うのですがなんとなく。

そして地味に続く予定です(…たぶん)