臥せって横になったきりの所為でなのか、すっかり乱れた年下の上司の髪をなんとはなしに櫛で梳いてやりながら、山崎はふと気が付いて手を止めた。
「髪、伸びましたね」
「そういや、起き上がると邪魔くせーなァって思ってたけど」
言われて気が付いたらしい当の本人は、くるくると人差し指で蜂蜜のような色をした毛先を弄びながら、首を傾げた。
どうやら年以上に幼く見えるその仕草は、彼の持つ癖のひとつのようだと気が付いたのは何時だったろう。
「結構切ってないですもんね。髪結いでも呼びましょうか」
「そこまでしねーでいいって。誰かに会ったりどっか出る訳でも無えしさァ」
沖田は振り向いてぱたぱたと手を振り、要らないという動作を山崎に寄越した。
そう言われてみれば人形のように整った造作とは裏腹に、彼は元来見てくれにはちっとも拘る性質では無かったように思う。続けて出た『面倒臭ェ』という言葉に、思わず苦笑が漏れる。
「じゃあ俺が切りましょうか。前髪、伸び過ぎてて目に入りそうじゃないですか」
「お前が?」
「ええ。まあ流石に本職ほど上手くは出来ませんけど」
恐らく無意識なのだろう、沖田はもう一度首を傾げる動きを示す。
今日は彼は体調が良い様だ。
比較的暖かい陽気が続いている為か、ここ数日は容態も安定していてこうして起き上がる事も多い。
僅かに思案していたようだが、ふうんと頷くとじゃあひとつ頼むかねィと彼は呟いた。
見れば彼はひどく、やわらかな表情をしていた。
其処になんとも言い難い、違和感を覚える
しゃきん、しゃきん
規則正しく鋏の音が響く。
ぱらり、ぱらりと音に合わせて蜂蜜色が散る。
「前から思ってましたけど、綺麗ですね」
「なにが」
「髪の色」
ああ、と髪が入らぬようにと目を瞑った侭でくつりと喉で笑う。その動きにぶれる刃先が当たらないようにと鋏を一旦彼から遠ざけた。
「綺麗かねェ?」
「綺麗ですよ。良く言われるでしょう?」
「俺はあんまり好きじゃなかったけど、なんかヘンに目出つし」
「確かに目立ちはするかもしれませんけど、好きじゃないなんて勿体無いと思いますよ」
綺麗なのに、ともう一度繰り返すと今度こそ彼はからからと笑い目蓋を開く。心無しか細くなったように見える指先で、切り揃えられたばかりの己の蜂蜜色の毛先を弄った。
「だってなァ、この所為でよく外でサボってんの土方さんに見付かったし」
あの人一々煩かったから、と言って更に笑う。
併せるように笑いながらふと、呟く彼の言葉は全て過去を指している事に気付いた。
ほんの数月前までは確かに極当たり前の日常であったことを、既に彼は笑いながら過去のものとして語っている。
何処か人事のような声音で穏やかに、然し淡々と。
「ついでですから、後ろもちょっと切りましょうか」
「うん」
翳りそうになる表情を悟られてはならないと彼の背後に回り、咄嗟に口にした尤もらしい理由に言葉少なく沖田は頷いた。
だけれど、きっと目に映らずとも彼は気が付いているのだろう。
彼の持つその敏さを、いっそ恨みがましく思いたくなる。
さらりと触り心地の良い後ろ毛を指先で撫ぜる。
その動きに髪が揺れ細くて白い、というよりは青みすら帯びた項が視界に映り、瞬間どきりと心臓が跳ね上がった。
白すぎる首筋には、膚の下の血の通う管までも透き通って薄く青く目に映る。
まるで壊れ物に触れるような心境で、そうっと首筋に指先を触れさせる。
とくり
血の通う感触が僅かに感じられて、不意に泣きそうな程の安堵を覚えた。
反面、なんて脆弱で頼りないのだろうと切なさにも似た感情も湧く。
決して屈強とは言えない自分ですら、この首は圧し折れてしまえそうな程細いし、彼らしくないほど無防備に晒された咽喉は容易く掻き切ることも出来てしまいそうだ。
こんな筈ではないのに
「山崎ィ、擽ったい」
「あ、ああ。すいません」
慌てて気を取り直し、襟足に刃を入れると首筋に触れる金属の感触が冷たかったのか、ぴくりと微かに身動ぎしたのが伝わった。
「そういえばー」
しゃきん
ぱらり
「副長からなんか沙汰はあるんかィ」
数日前から出張で屯所を空けている上司のことを、思い出したように沖田は呟いた。
相変わらず淡々とした声に何故だか彼はどんな表情をしているのかと思ったが、生憎背中越しにはそれを伺うことは出来ない。
「ええ。最低でも日に一度は連絡がありますよ。変わりはないかって」
連絡を寄越す上司が訊きたいのは、きっと他でもない沖田のことだろう。容態はどうか、様子はどうかと。変わりはないかと。
多くを口にはしないがいつも最後に、でも一番知りたいことを自分に尋ねてくる。
しゃきん
「そりゃ出先からわざわざご苦労なこったねィ」
「副長は責任感が強い方ですし、今回は長く空けてるから余計に心配なんでしょう」
「あーあぁ、余計な気ばっか回してっと、あのひと将来ハゲんじゃねえ?」
「そんなこと言って、聞いたら副長怒りますよ」
ぱらり
蜂蜜色が散り、差し込む陽光を受けきらりと光る。
嘘のように穏やかな空気と気配。
嗚呼、こんなものはなんて彼に似つかわしくない
「なにか、御用があるなら伝えますよ?」
しゃき
ぱら
「いや別に用は無ェけど。俺あのひとに土産頼んでっから」
忘れないか気になるだけ、と。
矢張り淡々と彼は呟いた。
その言葉に、忘れる筈無いですよと言おうと思って何故か喉元で言葉が痞えた。
鋏の動きが止んだのを察したのか、ゆるり彼は振り向いた。
「山崎さァ、薄荷の金平糖食ったことある?」
「いいえ。ありません、けど」
「じゃあ、土方さんが忘れて来なかったらお前にも分けてやらァ。今日の駄賃な」
結構俺好きなんだせと言い、彼はまた笑った。
近ごろ、頻繁に見るようになったその穏やかでやわらかな笑みが、何故かとても哀しいと思った。
涙骨
2007.12.28
『終幕の予告』の続き話。
元は単に髪を切って貰ってる沖田を打ちたかったからという理由でした。