子供の、ただの一度も惑ったことの無かった天賦の剣が
 痛々しい程の怒りや哀しみ

 それらの数多の感情に曇り、迷っていた



 ああ、今度こそあの子供は自分を本当に憎み、決して赦しはしないだろう




麒麟の恋




 ざあざあと水の音がする。

 屯所の庭の敷地内にある水道場で、土方はその蛇口の下に頭を突っ込んで直接水を被っていた。
 水は刺すように冷たかったが、火照った身体には丁度良い。
 ふと人の気配を感じ、土方は顔を上げる。

「うわっ!トシどうしたんだその顔」

 其処をたまたま通りかかった近藤は、土方の顔を見て素っ頓狂な声を上げた。
 無理も無い。今の自分の姿は、顔と言わず身体と言わず全身痣だらけの傷だらけで、更に着物も泥塗れだ。
 おまけに頭から水を被っていたのだから、何事かと思わない方が不自然だろう。

「あァ、ちょっとな」
「ちょっとって…。総悟か?お前を其処までに出来るのはあいつ位しか居ないだろう」
「…」

 土方は何も答えなかったが、沈黙する事で肯定したも同じだろう。流しっぱなしにしていた水道の蛇口を閉めて、濡れた頭を軽く振った。
 ぱたぱたと垂れる水が顔の傷口に滲みる。
 どうやら口の中も切っているようで、口内に僅かに鉄の味を感じる。
 金属の味と臭いに顔を顰めて排水溝に唾を吐き出すと、其処には赤いものが混ざっていた。
 その様子を見て近藤は苦笑を漏らし、濡れない位置に置いてあった手拭を土方に放って寄越してやる。

「はは、随分と派手にやられたな。折角の色男が台無しだぞ」
「止せよ。ただの稽古だ、大した事じゃねえよ」

 勿論ただの稽古でこんな状態になる必要など有りはしないのだから、我ながら見え透いた事を言っていると土方は思う。
 流石の近藤もその言葉を額面通りに受け止める筈もなく、顔から笑いが消えて真剣な色を帯びた。

「…総悟と、何かあったのか」
「別に何も」
「オイ、トシお前」


  土方は無言で手拭で髪を拭いながら、つい先刻打ち合った、蜜色の髪の子供の事を思い出す。
 まるで出鱈目に、ただがむしゃらで、酷く冷静さを欠いた太刀筋で自分に飛び掛って来た。
 子供は怒りとも哀しみともつかないような、ともすれば泣き出す一歩手前に酷似した表情をしていたように、思う

 あんな表情は、今まで見せた事があっただろうか
 らしくないと言うべきなのか、それともあれがあの子供の本来の素の顔なのか


 言い様の無い感覚を覚え、土方は目を細めた。



「…駄目だなあいつは、今の状態じゃ俺は負ける気がしねえ」
「トシ」
「悪ィ近藤さん、早く着替えてーんだ。又後でな」


 近藤から顔が見えないよう、隠すかのように手拭を被った侭土方はその場を後にする。
 まるで逃げているようだと、自分の行動に自嘲気味な笑みを溢した。
 



 まるで頭の片隅にこびり付いたかの様に、先刻の子供の顔が離れない。
 その表情を思い起こす度じりじり、じりじりと胸を突き刺すような感覚が身体を巡る。


 痛みにもよく似た、焦燥にもよく似たこの感覚は 一体なんと呼べば正しいのだろうか



 
 嗚呼自分は
 是を明確に表わすことのできることばを 知らない






2007.02.25







2007年2月から拍手御礼として置いていたSS。
ミツバ編渦中の土方と近藤さん。ベクトルは沖田に向いてるので土沖のつもり
弐もあったのですが、割愛します。

一応『其の手に』とリンクさせてたつもりでした。