知りたい?
 否。知りたくない、考えたくない


 自分はこんなものに気付きたくなど、無いのだ




相思ひ草





 人の気配で目が覚める。


 アイマスクを装着している所為で、覚醒しても尚その視界は暗い侭だった。けれど耳に届く物音でどうやら朝らしいと悟る。

 一体どの位眠れたのだろう。
 床に就いたものの夜明け近くまで眠れずに居て、そうして漸く意識が無くなったのだが、それからそう大した時間が経っていない気がした。
 何故眠れなかったのか、理由は良く分からない。だが何とも形容し難いもやもやとした感覚がずっと胸の辺りに纏わり付いて、酷く落ち着かなかったのが原因なのかもしれない。厄介な事に、此処のところそれはずっと続いている。
 もぞりと布団の中で身動ぎする。
 寝不足の為か正直身体は怠いし、頭の中も未だ半分霞がかかったようで呆としている。これから起きて直ぐ仕事に出るのは心底面倒だなと思った。折角眠れたのだからもう暫くこうしていたいが、きっとそうもいかないだろう。
 それを裏付けるかのように確実に此方に向かって来る騒々しい足音に気付き、酷い倦怠感に拍車が掛かった気がしてうんざりとした呼吸を零した。



「総悟、起きろ!」


 足音の主に名を呼ばれたのが先か、それとも部屋の障子戸が開かれたのが先か。

 開かれた戸から室内に流れ込む朝の清涼な空気。それとほぼ同時に鼻先を掠めた匂い。声など聴かずとも、沖田にはそれだけで一体誰が訪れて来たのかが分かってしまった。
 途端、また纏わり付く様なざわざわとした感覚が襲う。
 其の侭相手は無遠慮に部屋に進入して来る様子が閉じられた視界からでも感じ取れた。
 同時にますます強くなる匂いに、沖田は僅かに眉を顰めた。

「何ですかィ土方さん、勝手に入って来ないで下せェよ。プライバシーの侵害でさァ」
「何がプライバシーだ、今何時だと思ってやがる。さっさと起きろ」

 抑揚の無い、小さな抗議に返ってくる声は低くて良く通る、想像通りの物だった。然しそんな事を思う間も無く声の主には足蹴にされた上、おまけに乱暴にも布団を剥ぎ取られていた。
 瞬時に冷やりと身体を包む空気に観念して、億劫そうに首だけ動かし、ずるりとアイマスクを摺り上げる。日の光が眩しく刺さり目を細めた。内心、今日は天気が良さそうだと思いながらも、務めて嫌そうな表情を作って傍らに視線を寄越す。
 視線の先には矢張り、想像と違わない姿。


「…うわあ朝一で見たくねえ顔ー」
「何だと。文句が有るなら起こされる前にテメーで起きてきやがれ糞餓鬼」
「起きてやしたー、アンタがちっとせっかちだっただけでさァ」

 言いながらアイマスクを外して枕元に放り、視線の先の男にはあかんべえと舌を出してやった。

「いいから早く顔洗って着替えて来い」

 土方は世間一般的な評価で言えば随分と整っているらしいその顔を顰め、いい加減起きろと言ってまだ横になった状態の沖田を再び足蹴にした。それから極めて自然な動きで腕を取られ、上体を起こされる。
 顔を覗き込まれ、一層強く感じられる独特の匂いに目眩がしそうだと薄ら思う。

「おはよう」
「…はよーごぜーやす」
「あのな、朝の挨拶くらいしゃんとしろよお前」

 この男に最早染み付いてると言っても過言ではないような、強烈な煙草の匂い。
 土方以外に真選組内で喫煙者は殆ど居ないし、それにここまでハッキリと知覚出来る程の煙草の匂いを始終させている者を他に沖田は知らない。
 昔も今も煙草を飲む人間が他には周りに殆ど居ない為が、既に沖田にとってこの匂いは煙草特有の、というよりは彼個人を指す匂いに近かった。
 そして何故だか、この匂いは大抵何時でも沖田を苛々と落ち着かない気分にさせる。
 だからこの匂いは嫌いだ、と沖田は常々思っていた。

 そう、嫌いなのだ。

「煩せェなあ、アンタ俺のかーちゃんですかィ」
「誰がテメーのお袋だこのS王子」
「うわ、俺も瞳孔開いたヤニ臭くてマヨ臭ェかーちゃんなんて真っ平御免でさァ」
「朝からシバかれてーかこの野郎、さっさと行け」

 大した力が篭ってない拳で軽く頭を小突かれ、沖田は嫌々そうにしながら立ち上がる。
 その場で二度三度伸びをしてから、ふらふらと洗面所へ向かう為に足を進めた。

「ったく、お前は口ばっかり達者になりやがってよ」
「人間、日々進歩と成長があるもんでさァ」


 ふと沖田はその足を止め、障子戸に手をかけた状態で背後に立つ男をゆらりと見遣った。

「土方さん」

「ああ?」
「アンタ、本当に俺の何なんですかィ」
「…は」

 見れば、土方の顔にはぽかんとした、正に何を言われているのか理解出来ていないと言った表情が浮かんでいる。

「お前まだ寝惚けてんのか?」
「かも、しれやせん」

 怪訝そうに眉を顰める相手に珍しく同意し、素直に頷いた。
 戸の向こうから流れ込んでくる緩い風が、土方から漂う微かな苦い匂いを掻き消す。それを機に沖田は深く息を吐く。
 沖田自身、薮から棒に何を聞いているのだろうと思い、半ば自分に呆れて視線を宙に泳がせた。


 だって

 たとえば近藤のこと。自分にとって近藤は師であり兄であり、口に出した事なぞ無いが、物心付いた時には既に両親の居なかった沖田に取って父親同然でもある存在だ。それは自分の中で明確な形を成していて、だから何時でも誰にでも即答出来る事柄だった。

 では土方は?
 姉や近藤に抱くような、肉親に感じるような感情とはまた違う。少なくとも彼等を想って沖田はこんな風に如何ともし難い、説明の付かない漠然とした感覚に囚われる事は無い。
 上司、仕事仲間、友人知人、敵味方。
 そのどれも近いようで、でもどれもしっくり来ない、自分がこの感覚を覚えるのは他にだれも居ないのは何故か


「…んん、ホント朝は駄目でさァ、弱くてね。寝惚けちまっていけねェや」


 嫌だな、と感じた。

 ああ、この男はそんな事を考える間すらないほどにずっと近くにいたのだ。
 その距離は異常な程に、近過ぎる。

「顔、洗ってきやす」
「おい、総悟?」


 可笑しいと思う。
 自分は何時こんなに近くにこの男を寄せる事を許してしまっていたのだ。そんな事は考えてももう覚えていないし分からない事。すべて今更だ、だけど
 我慢ならない。何てことだ、とんだ不覚だ

 そう思うと改めて癪に障り、視線を戻しもう一度沖田は後ろの男を見遣ると、一言

「アンタ本当にむかつきまさァ、やっぱいっぺん死んで下せェ」

「はあ?」
 暴言めいた事を言うだけ言うと、沖田は足早にその場から立ち去った。
 背後で怒鳴りつつも、己の態度を不振に思ったのか土方が自分を呼ぶ声が聞こえたが、そんなものは知ったことかといわんばかりに知らぬ振りを決め込んでやった。



 ああ、畜生分からない
 分かりたくない、知りたくない。


 自分はこの感情の意味も種類も、そんなものにはなにひとつ気付きたくなど、ないのだ






2008.04.21





 うっかり恋する乙女もどきな沖田さんです。
 いやだどうしたのこの人…!(笑)
 最近不穏なネタしか思いつかない己を打破しようとして打ってみましたが、なんか…(黙)。