静かなように思える病院という場所も、案外昼間は騒々しい。
入院という滅多に無い経験を通して、山崎は最近それを知った。
患者からの呼び出しに忙しい看護士や、急患が居ると急ぐ医者。
見舞いに来たとおぼしき人間や、はたまた患者同士で談笑や時には諍いやら(尤も、諍いを起こせるような患者は比較的元気な患者に限定されるが)。こうして見ると意外と新しい発見が多く、元来物事や人間の観察が好きな山崎は入院中と云えども大きな退屈しなかった。
本来真選組隊士が負傷をした場合は余程で無い限り、屯所内で療養にあたる事が多いのだが(現に組付きの医師もちゃんと居る)、つい先日大きな騒動か有った為に、今の屯所は此処以上に慌しく騒々しいだろう。この短期間に二度も立て続けに山崎が入院を与儀なくされる負傷をしたのも、その騒動に原因がある(二度目の原因は微妙に擦れてくるが)。
そう考えると入院という措置を取ってくれたのは有難いといえば有難い。尤も今の組は看護に回せるだけの手など無いというのも一因なのだろうが。
なので、屯所の様子が気掛かりと言えば気掛かりではあったが、ある意味入院生活を満喫してはいるのだ。
だが
星より遠い
「沖田さん」
「んあ?」
やけに白さが目に付く病室の壁、好い加減嗅ぎ慣れた消毒薬の匂いと。
窓から差し込む陽光を受け、透ける蜂蜜色が己の傍らに確認出来る。
その目立つ毛色を持つ上司を見れば、現在彼は病室備え付けの椅子に腰掛け、退屈そうにあさっての方を見ながら子供のように両脚をぶらつかせていた。おまけに自分で持ち込んだ麩菓子をもさもさと食んでいる。
先刻は確かチョコカステラで其の前は酢漬けの烏賊ではなかったか。一体どれだけ外で買い込んで来たんだと半ば呆れと諦めが混じる。
「着替えとか、持って来て頂けるのは有難いし嬉しいんですが、あの、戻らなくてもいいんですか?」
先程からすっかりとこの場に腰を落ち着けている上司をちらりと窺い見る。
年下とはいえ立派に上司にあたる少年に物申すのはやりにくいなと内心思うが、ここのところ毎日のように沖田は山崎の病室を訪れている。
実際来たからといって何をするでも話すでもなく、こうしてただ時間を潰して過ごしていくだけなのだ。流石に連日のように続くと不自然さを感じ訊かずにいられない。
無論手ぶらで来るわけではなく、着替えや他の隊士からだという差し入れやらと色々持って来てくれるのも確かだし、その事は有難いというのは本心だ。本人は進んで口にしないが、訊ねれば組の様子も一言二言教えてはくれる。
だが、こんな事は本来幹部の彼の役割でもないだろう。それこそ誰でも良い、平隊士にでもさせれば充分事足りる。
山崎の言葉に、沖田はぶらつかせていた足をぴたり止め、きょろりと大きな目を向けた。
「俺、邪魔?」
「え、いや、そういう意味じゃありませんよ」
ただあまり俺に感けて屯所を空けてるのは今は不味くないのかと思って、と何故か言い訳がましく言うが、沖田はどうでも良さそうに鼻を鳴らしてから椅子に深く腰掛け直す。
凝視されると些か落ち着かない彼の大きな目も、興味無さげにひらりと逸らされた。
「あー別に大丈夫だろィ、副長も無事復帰したこったしなァ」
「そういう問題じゃないと思います、けど」
(…あれ?)
何処か投げ遣りな沖田の物言いに俄かに違和感を覚える。
拗ねているような、というよりは何処か他人事のような口振りなのは気のせいだろうか。
そんな疑問を抱きまじまじと見ていたのに気付いたのか、ほんの少し眉間に皺を寄せて沖田は再び山崎を見る。
場違いな事だが、彼の瞳は矢張り珍しくて綺麗な色だと薄ら思った。
「何でィ」
「いえ」
あっそ、と言い沖田は食べ終えた駄菓子の包み紙を屑籠に放ると、業とらしい欠伸をひとつしてから山崎の足元の辺りに頭を投げ出した。消毒液の匂いが仄かに漂う白い布団に顔を突っ伏すような体勢を取り、山崎の方からは表情すら伺えなくなる。
その態度はやんわりとだがはっきりと拒否を示されたようで、何と言ったら良いものかと山崎は暫し押し黙った。
とはいえ、足元の布団を占領された状態では横になって眠る事も適わず、仕方なしに山崎はぼんやりと思考を巡らせる。
彼はどうして此処に来るのだろうか。
ただ仕事をサボるだけなら態々此処に来る必要も無い筈だ。例えば彼が持ち込んで来た駄菓子を買い求めたのであろう商店や近くの神社や河原やら、全てを把握出来てるわけでもないが、事実普段の彼は勤務中でもそのような場、あちらこちらへと気ままにふらりと行ってしまう。
一体何処で何をしているのやら、その態度は幾度土方に注意をされようと改善されず、至って飄々としたものだ。
(ひとりに、なりたくないのかな)
だが屯所にも居たくはないと言うことなのだろうか。
そしてふと先程の引っ掛かる物言いを思い起こす。屯所に居たくない、というよりは他の隊士と、そして近藤と土方の二人と顔を合わせたく無いのだろうか。先程の口振りから察するに、特に先達て隊務に復帰した土方と、だろうか。
そこまで考え、突っ伏す少年に気付かれぬよう溜息に似た息を吐く。
沈黙した侭だが足元の蜂蜜色はぴくりとも動かない。だが眠っている訳ではないのだろう。沖田は元来そう寝付きのよい方ではない筈だ。
(先達の事、別に局長も副長も責めたりしないだろうに。いや、だからかな)
先日の騒動の折、一時土方が組から離脱した時。直接的な原因は幹部でない山崎の知る由ではなかったが、伝え聞いた話では沖田が伊東側に付いたからだと組内では実しやかに囁かれた。
古株の幹部である沖田が土方を見限り、伊東の側に付いた。それが決定打となり、それまでに只でさえ度重なる失態が相次いでいた土方を局長の近藤ですら庇いきれなくなって、切腹こそ免れたがそれでも体良く追放されたのだと。
その為、表立っては誰も何も言わなかったが組内では随分と沖田も酷薄な物だと、非難様に囁かれていたのを山崎も知っている。
否、山崎とて沖田の真意が図り切れず問い質したい気持ちにならなかったと言えば嘘になる。
土方と沖田の二人が、どんなに普段表面上はいがみ合っているように見えても決してそうではない事を知っていた自分ですら、だ。
だが近藤は大事に至らずに済み、土方も無事復帰した。
あくまで結果に過ぎないが、それは重要な事だ。どれかひとつが欠けても今以上の大事に至ったのは明らかなことで
「沖田さん」
「…」
掛けた声に、足元の少年は無言だが微かに身動きした気配を感じた。だが顔を上げようとはしない。
あの時、隊に居る誰もが不安定な状態だった。
山崎は勿論、近藤も土方も。推測にしか過ぎないが恐らく伊東も。あらゆる策略や困惑や、様々な思考が入り乱れて大袈裟ではなく皆目まぐるしく変わる状況を把握しきれずに手一杯だった。
ではそんな中、一体目の前に居る少年は何を思い、何を考えていたのだろうか。
他ならぬ近藤の意に背く形を取り、形だけかもしれないが土方を裏切って陥れるような真似までし、周囲には悪し様に罵られながら。
到底自分には及びも付かないし理解しきれそうもない、と思う。
というより誰が理解できるのだろう。仮に彼自身に其れを問うても答えないに違いなかった。
曲がりなりにも短くない付き合いの中で、山崎は沖田が感情を隠すのは実際それほど得手だとは思わなくなっていたが、だが恐ろしく頑固で強情だとは思う。だから口から漏れる言葉が例え嘘だと分かりきっていても、彼は誰にも本意を語らないだろう。
返して考えれば、つまり今の沖田は誰に理解されずとも、それでも構わないと思っているという事なのだろうか。
誰にも、他でもない近藤にも土方にも理解されずとも、それでも自分の思いを貫き通せるのならばそれで良いのだと思っているのだろうか。
思うようにしている、と言うべきか。
だが妙なところで彼は不器用で、歳以上に幼い部分があるのも知っている。
「起きてるでしょう?沖田さん」
もう一度声を掛けるが、それでも頑なに黙りこくる彼に苦笑を漏らし、山崎は上体を伸ばして数回、彼の蜂蜜色の髪を撫ぜた。
撫ぜられるその感触に一瞬身体が強張ったように竦み、漸くのそりと沖田は顔を上げる。
「何すんでィ」
当惑か困惑か、そんな感情が入り混じった視線できろりと山崎を睨み付けた。
その表情に、山崎は果たしてどんな顔を向ければ相応しいか分からず、結局はただ緩い笑みを向けていた。
「いえ、なんだか急にこうしたくなったんです」
「んだそれ」
山崎の言葉に、なにかを察したらしい沖田は表情を一瞬だけ泣く幼子のように歪めたのが見えた。
それに気付かぬ振りをしながら、さらさらと流れる髪を笑みを浮かべてもう一度撫ぜる。
「…お前が怪我人じゃなかったらぶっ飛ばしてるところでィ」
「それは勘弁して下さい。一応俺、死にかけたんで」
「知ってら、だから見逃してやってんだろ」
悔しそうにに呟くが、それでも沖田は山崎の手を払い除けようとはしなかった。
『誰にも理解されずとも』
何処までも貫き通す沖田のその思想も生き様も、とても美しく思えたけれど、山崎にはそれ以上に酷く哀しい事のようにも思える。
(でもこのひとは、俺のそんな想いなんて要らないと言うんだろう)
仮に、自分のこの考えが正しかったとしても、余計なことだと不要な物だと切り捨てるだろう。
そう思うと、それがとても切なかった。
2008.05.30
動乱編直後の山崎と沖田。
個人的に動乱編における敢闘賞2名でした。
が、一体自分で何が言いたかったのやら。なんだかピントのぼけたグダグダ感が拭えなくなりました…orz