時は夕刻。
 
 屯所の外れの一室にも、赤味を増した光が届いている。
 朱色が差し込むその部屋の中で、横になっていた沖田は布団から緩慢な動きで上体だけを起こそうと身動く。
 だが侭成らない動きしか出来ないでいる沖田を見兼ねたのか、傍らに座る男に無言で腕を引かれ、更には背に手を添えられ、最終的にはほぼ手助けされるような格好となった。
 随分と不恰好な事だ、薄ら思う。
 
「…どうも」
「ほら」
 
 それから背に手を添えていた傍らの男に、今度は湯気の立つ器を渡される。沖田は為すが侭、まるで機械のように無言で其れを受け取った。
 
「此れ、飲まなきゃ駄目ですかィ」
「ああ」
「不味いのに」
 
 実際はどうでもいいような不平を二言三言呟きながら、じんわりと温かい手の中の器を見遣った。其処からは濁った色の薬湯がゆらゆらと湯気を立てている。
 沖田は器と、それを持つ白く骨ばった己の指先を交互に見詰めた。暫く無言でそうした後、傍らから促すように名を囁かれるのを合図に、一息に器の中身を飲み干す。
 
「…苦ェよ、この糞土方が」
「仕方無いだろ。我慢しろ」
 
 口内を満たす苦さに、僅かに眉を顰め乍ら空になった器を傍らの黒尽くめの男に戻す。
 毎日夕刻に繰り返される。大切な決まり事のように繰り返す此れは、最近すっかり習慣付いた事で、出される薬湯は医家が処方している物とは異なる物であり、沖田は出処は知らないし別に訊くつもりも無いが、薬湯は土方が何時も用意して来る物のようだ。
 職務でどうしても土方が屯所に居れない時を除けば、毎日彼が自ずから煎じて持って来る。
 既に第一線から離れてしまった身では想像の域を出ないが、どんなに激務の最中であろうとも彼はこの行為を欠かさない。
 副局長という替わりの利かない多忙な身なのだから、こんな事は他の者に任せても良いものを、だけど彼は決して他人任せにしようとはしないのだ。
 
  
「あーぁ、やっぱ其れ何度飲んでも苦くて不味ィや」
「ほら水」
「頂きやす」
 
 こうやって毎日毎日飽きもせず、服用し続け既に幾日か経つ。
 だが沖田自身には一体どれほどの効能があるのか分からなかったし、あったとしても病の根底を覆すまでには至らないとも思う。だが土方は僅かばかりでも効能があると信じているようだ。
 否、只信じたいのか。
 気休めだ。だが彼がそう思うの為らば致し方無い、そんな事を心の何処かで考える。
 
 口内に残る苦味を洗い流す為、受け取った水を一口飲んで息を吐くと、傍らの男に床に戻るようにやんわりと肩を押され促された。
 其の動きに抗う気も起きず、沖田は酷く素直に細い身体を再び布団に潜り込ませる。
 
 
 こんな風に、一日の大半を布団の中で過ごす様になって、どの位経ったのだろう。
 
 
 
 「土方さん」
  
 横になった侭、やけに丁寧な動作で空になった器を片付ける土方を見る。
 恐らく今も相当な忙しさの中に居るのだろう、よく見れば彼のその精悍な顔に、薄らと隈が出来ているのが分かった。
 
  
「アンタ、最近煙草吸わないんですねィ」
 
「そうか?」
 
 静か過ぎる室内に矢鱈と響くかちゃり、かちゃりと陶器が触れ合う音。
 沖田の言葉に合わせるように、一瞬その音が止んだ。
 
「そうですよ。イカれたヤニ中の癖に、俺アンタが吸ってる所随分見てませんぜ」
「…いいだろ別に」
 
 相手の返事を無視し重ねて、どうして?と布団の中から上目使いで見遣ると、問い掛けた相手は少しばかり決まりが悪そうに目を逸らす。
 我ながら意地の悪い質問だ、と内心苦笑した。
 重度の愛煙家の土方が、自分の前で喫煙しなくなった理由など訊くまでも、考えるまでも無く分かりきった事なのに。
 
「大体お前、煙草嫌ってんじゃねーか」
「ええまァ」
 
 努めて業と作っているようにしか見えない忌々しげな表情を向けて土方は呟いた。
 ああそういえばこの男は昔から嘘が下手なのだと、其処に浮かぶ表情を見て思う。
 
 近藤は嘘が吐けない人間で、土方は嘘が下手な人間なのだ。
 
 
「そうですね、嫌いですけど」
 
 煙草っつーよりアンタがね。
 さらり、そう続けた言葉に土方は今度こそは本気の渋面を作る。其れがやけに可笑しくて、くつくつと忍び笑いが漏れた。
 然しそれは何処か歪な笑みだと自嘲が混ざる。
 
 苦い薬も吸わない煙草も何もかもが、きっと全ては実姉と同じく胸を患った自分の身体を慮る故の行為。
 其の真意を問うても彼は答えなどしないだろうが、改めて問うまでも無く嫌気が指す程に理由が良く分かってしまう。どんなに愚かしかろうと、いっそこんな事には気付けないでいた方が遥かに楽だった。
 
 
「総悟」
 
 意思に反して言葉を途切れさせた沖田に、土方はその鋭い双眸には似合わない柔らかい視線を寄越した。
 その侭宥めあやすような仕草で二度三度と布団を叩く。
 
「もう休め」
 
「まだ、眠く無ェです」
 
「いいから寝ろ。良い子だから」
 
「…何でィそれ」
 
 
 良い子って何だ気持ち悪ィなと毒吐きながらも、ちりちり、喉の奥と胸の何処かに異物が刺さったように微かに痛む。
 彼に、周囲に想われているという只それだけの事実。見返りなど求めない無償の其れ等がとても面映い。嬉しくない訳じゃない、だけど其れ以上に酷く苦しかった。
 
 嘗て、あんなに切望していた役目も既に何ひとつ熟せ無くなり、それどころか日毎に思うように身体を動かす事も侭成らなくなってゆく。少しずつ確実に己のもので無くなっていくようなこの身が酷く煩わしく歯痒くて、だけどどうしようも出来ない事柄に何事か叫びたいような衝動に駆られるが、沖田は息を詰めぐっとやり過ごした。
 
 自分は、こんな物が欲しかったとは到底思えなかった。
 
 
 刃の触れ合う音、広がる赤、己の身に染み付いていた筈の血のにおい。
 嘗て当たり前のように在った、ずっと当たり前だと思っていた大嫌いな、でも良く馴染んだ紫煙の香が、取り巻いていた筈の全て薄らいで消えていく事が、切なかった。
 
 
「土方さん」
 
 
 ふわりとした、浮遊感にも似た睡魔に襲われ、視界が霞む。
 霞む視界にどうにか留めようと、傍らの姿を必死に追っていた。
 
  
 
「俺、確かに煙草は嫌いです。けど」
 
 
 アンタから煙草の匂いがしないってのは、なんか落ち着かなくていけねぇや。
 僅かに震えた声でそう告げると、自分を見詰めている黒の眼が僅かに揺らいだのが映り、又ちりちりと喉奥が痛んだ。 
 
 
 
 棘のようだ、と呆と想った。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
優しい棘
 
 
 
 
 
2008.10.24
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


土方さん家業の薬売りネタ(という程でもない)の筈でしたが別物に。
でも銀魂土方は肉親の縁が薄そうな気がしますね。
 
というか、連作の時間が前後しまくりで申し訳ありません。