酒の所為で口が滑ったのだ
 
 
 
「お前、俺の事嫌いだよな」
 
 
 そんな言葉が零れたのは、丁度、宴会も酣を過ぎた頃だった。
 
 どうしてそんな事を口走ったのかは口にした土方自身定かでない。
 酒の勢いで常日頃苦々しく感じていた想いが口を出てしまったのだ、としか。言い訳にしても、何とも情けない話だが。
 口にした次の瞬間には自分は何を言ってるんだと思ったがもう遅い。現に言葉を投げかけられた傍らの子供は、蜜色の髪を揺らし、きょとりとした表情を此方に向けている。
 それから僅かの間の後、小馬鹿にしたように口元を歪んだ笑みを形作った。
 
「何を今更」
「…」
 
 あっさりとそう言い捨てて、手にした杯を無造作に傾ける。幼い容貌に似合わず、大変良い飲みっぷりだ。
 そんな彼とは裏腹に、ぐらり、と頭の中から回るような感覚。この状態はあまり宜しくない、やはり飲み過ぎなのだ。
 
 普段は過分に酔いを回さぬようにとある程度自粛しているのだが、今夜は屯所内での宴会とあって気が緩んでいたのか、些か酒量が過ぎた。
 土方自身、自分が酒に強くない事を自覚しているだけに、失態だと思わざるを得ない。
 
「何です、もう酔いやしたか?」
「知らねェよ」
 
 揶揄い混じりの言葉に、普段なら酔っていないと反論するところだが、既に先刻の発言を後悔している土方からすれば、酔いを否定も出来ない。
 いや、いっそ酩酊している事にした方が幾分かましに思える。
 言葉というものは一度口から発せられたら最後、やり直しも取り消しもきかない。故に恐ろしいのだという話を何処かで聞いた事があるが、正にその通りだと今現在思わぬところで痛感させられた。
 
「この程度で回っちまうなんざ情けねェ、アンタももうイイ歳だからですかねェ」
「誰が歳だって?ザケんな糞餓鬼」
 
 自分は手酌で次を注ぎ、アンタ相変わらず酒弱いなァと喋るその口調ですら嘲笑されているようだ。嗚呼畜生何とも憎たらしいと思った。 
 更に厄介で糞忌々しいと思うことに、結局土方自身はこの子供を根っから厭う事が決して出来ない。例え相手が自分を心底厭っているとしても、だ。
 いや、今しがた厭ってるとはっきりと当人の口で肯定されたばかりだというのに可笑しな事だと自分で思う。日頃命まで狙われているというのに、我ながら酔狂にも程が在る。
 だが仕方ないではないか、自分は相手を己の腰ほど迄しか身の丈の無い幼い頃から見知っている。そうなればどんなに小憎たらしい性格だろうと、情の一つや二つ湧いてくるのが自然だろう。
 
 
「大体お前こそ飲み過ぎだろ。それ一体何本目だ」
「さァ?」
 
 改めて傍らの子供を見れば、空になった一升瓶が幾つも回りに転がっている。どれも相当強い銘柄の酒ばかりだ。
 恐らくこの大半を一人で空けたのだろうに、酔うどころか顔色すら殆ど変わっていない。それどころか尚も手酌の手も止まる様子も無い。程々にしろと短く嗜めると、けろりとした様子で笑うのだ。
 
「大丈夫ですぜ、俺はアンタと違って弱く無ェですもん」
「少し位ェ自重しろ、未成年の癖に」
「それこそ今更でさァ。ああ、そう心配せずともアンタみてェに公衆の場で酒に飲まれるような真似はしやせんから。安心して下せェ、ねえ副長殿?」
 
 ぐびりと又杯を空にし乍ら、横目に土方を見上げる目は完全に哂っている。
 此の発言は何時ぞやの花見の場で、万事屋の主と飲み比べをして潰れた事を言っているのだ。一般人も居合わせる場でうっかり熱くなってしまい、酒量を自制出来なかった事は自分でも失態だと思う。
 そう認めざるを得ない事を引き合いに出されては、残念ながら土方にはぐうの音も出なかった。
 頭は空の癖にこういう時だけ舌は回る。昔から手に負えない餓鬼だと思ってはいたが、今となっては剣の腕では周りの大人は誰も敵わないわ口は減らないわ態度も尊大だわで、全くどうしようもない。
 一体自分と近藤は何処で育て方を間違ったのだろう。
 
 そう思うと何だか非常に捨て鉢な心境に陥り、横でからからと笑う沖田から酒瓶を引っ手繰って注ぐと、倣うかの如くに煽るようにして杯を空けた。
 度数の強い酒が喉を通り、胃へと流れ込む感触が熱かった。
 
 
「ねえ土方さん」
「あ?」
「アンタさっき自分でああ言いやしたけど、何で俺に嫌われてんのかって分かります?」
 
 先刻と逆に、訊き返される形になってぽかんとした土方に、何事にも理由ってモンがあるでしょうや、と尤もらしいことを言う。
 朽葉の両の目がぱしぱしと瞬き、此方を見ている。
 そう訊ねられれば、確かに思い当たる節はあるのだ。本当は土方は其処に後ろめたさにも似た感情を覚えている。だからこそ自分は決定的なところでこの子供に強くは出れないのだから。
 
 彼の姉の事や、近藤の事。そんなつもりは無かったが、幼少の彼の大事にしていた世界を打ち壊した形になった自分の存在。いくら剣の腕が上がろうとも、自分が上司であるという形への反発や不満。
 考えればそれらしい事柄は幾らも出てくる。だがどれもその『理由』に足るようで、そうでない気もする。
 沖田は押し黙った土方を見ると、呆れたような嘆息と小馬鹿にしたような笑みを漏らし、すっくと立ち上がった。
 
 
「おい、何処行く」
「厠。やっぱ、ちと飲み過ぎたみてェで」
 
 そうは言って、だけど危うさをまるで感じない足取りで辺りに転がった酔っ払いを避けながら出口へと向かう。
 特別掛ける言葉も思いつかず、ひょいひょいと遠ざかる蜂蜜色の後ろ頭を眺めていると、不意にそれがくるりと振り向いた。
 土方さん、と名を呼ぶ声にも澱みの欠片も感じ取れない。
 
「アンタ、さっき俺の言ったことで色々考えたんでしょうけどね」

 此方を真直ぐに見てくる朽葉色と視線が克ち合う。その口元はにまりと哂っていた。
 
「そのどれも間違っちゃいねェけど、どれも正しく無ェんですよ」
「…は、」
 
 酔いの所為か霞がかった感覚の中、以前も何処かでこんな顔を見たなと考える。ああ、彼がこんな顔を自分に向ける時は大概碌でも無い時なのだ、昔から。
 
「分かんねェなら胸に手ェ当てて、精々脳から血が出る位考え抜いて禿げなせェ」
 
 馬ー鹿、と哂ったまま最後にとんでもない暴言を吐いて、軽やかに立ち去る後姿に、土方は怒るのも忘れて暫し呆然としていた。
 涼やかな声が頭に木霊し、遠くの世界のもののように耳に届く宴の喧騒が、酷く耳に障った。






『朧に繋いだ』






2009.06.10






色々駄目過ぎる副長殿になりました。
元は副長誕生日ネタで誕生日祝いの宴会の席の話でしたが、
結果として全然祝ってなかったので却下しました。悪気はありません。