宵闇の中に仄白く花が浮かんでいる。
 
 
 この国では老若男女問わず、大概の者に桜の花は好まれる傾向にあるようだ。好む好まないに関わらず、何か心の奥底に訴え掛ける物があるのかもしれない。
 その為かどうかは分からないが、この花の盛りになると普段花なぞ見向きもしないような人間ですら、やれ花見だなんだとその風情を楽しもうとする。
 実際は花に託けた宴会に終わるとしても、花は四季折々に色んなものが咲き誇るのだから、桜にこだわりたい何かがそこにはあるのかもしれない。
 
 
 真選組にもその例に漏れず、毎年花の咲く短い間を縫って開かれる恒例の花見がある。
 それはまだ真選組が結成される前、只の田舎の一道場主とその門下と剣客の集まりに過ぎなかった頃から毎年騒々しくも楽しみとして行われてきた。
 当時より人数も増え、彼等の拠点が武州から江戸に移ってからもそれは変わらず行われていたのだが、今年のその行事は少しと言わず、かなり勝手が違っていたように思う。
 そんな今日一日を思い返しながら、沖田はひらひらと落ちてくる花弁を眺めている。
 
 
 なにか、変わる気がする。
 
 言葉では上手く言い表せない予感めいたものを感じながら、未だ微かな喧騒の残る中佇んでいた。
 
 
 
 あと数日もすればこの花の盛りも終わる。
 
 
 
 
 
 
 
 流転の花
  
 
 
 
 
 
 
「沖田隊長ー」
 
 宴の余韻を遮るかのように、困惑通り越して途方に暮れて助けを求める様な隊士の声に沖田が振り向けば、彼の足元には黒い塊、もとい我が真選組の副大将が転がっていた。
 意地になって居合わせた一般市民と散々飲み比べなどをした結果、酔い潰れた侭起きてこないらしい。
 
「起きねェの?」
「はい。どうしましょう?」
「ったく、しょうがねェなァ」
 
 大の大人の癖に何て世話の焼ける、と呆れて沖田は溜息を吐いた。
 
 
「ちょいと土方さーん、もう花見は終わりやしたぜ。好い加減起きろってんでィ」
 
 沖田は大股に近寄って、だらしなく伸びきった今は木偶以上に役に立たない上司を遠慮無く蹴リ上げるが、微かに唸った位の反応しか無い。
 弱い癖になんだって此処まで飲むんだか、どうやら一般よりアルコールの類に強いらしい沖田には分かりかねる。
 
「土方さん、起きねェと此処に置いてきますぜ?良いんですかィ」
 
 十中八九返事なんて無いだろうと思いつつ、爪先で小突きながら気休め程度に問い掛ける。矢張りといかなんというか、想像通り寝言のようなくぐもった唸り声が返って来ただけだった。
 普段なら上司を足蹴にするなとか何とか、打てば響くような反応があるのにこれでは全く面白く無い。
 
 
「面倒臭ェし、此処置いてくか」
 
 春だし別に凍死はしないだろと此方を伺ってる隊士に言うと、でもこれどかさないと、茣蓙が畳めないんですと困ったように言った。
 上司自身の心配じゃなくて、後片付けが出来ない心配だったらしい。別に沖田にそれを咎め立てる気は全く無いのでどうでも良いことなのだが。
 然し酔い潰れているとはいえ、曲がりなりにも鬼の副長をこれ呼ばわりしている事は、酒が入ったが故の無意識なのかそれとも業となのだろうか。
 
 
「んじゃ仕方無ェな、そこの自販機の上にでも置いとけィ。ヤニの自販機だし中毒のこの人にゃ丁度良いだろ」
 
 そう言うと、周りの隊士は成程名案だ流石沖田隊長!などと良く分からない賛辞を口にしながら、あっという間に土方を自販の上に乗せ上げる。呂律も碌に回ってないというのに大した早業だ。
 泣く子も黙る武装警察と言えど、今は只の酔っ払いの集団でしかない。
 
「沖田さん、ちょっとあれ、流石に不味いんじゃないですか?」
 
 後でなんて言われるか分かりませんし、と残った連中の中では比較的素面に近い山崎が遠慮がちに異論を唱えてくる。
 その表情を見て、こういう場で理性が残ってると返って損をするというのは本当だなと沖田は思った。
 
「んなの、こんな場で酔い潰れた奴の自業自得だろィ。俺ァあんな糞重てーもん運ぶのなんざ御免でィ」
 
 でもと難色を示した山崎に、じゃあお前が屯所まで運べと言ってやると、暫しううんと唸っていたがそれ以上は何も言わなかった。
 置き去りにすることに多少の良心が咎めても、山崎も自身より体格の良い大の男を運ぶのは嫌らしい。
 大将である近藤も、花見が始まった直後の余興で気絶させられて、夢の国へ行った侭結局戻って来なかった。年に一度の折角の花見だというのに、何とも勿体無い話である。
 比較的酔いの回ってない連中に、近藤だけは先に連れ帰らせたものの、既に酒が回って出来上がってる連中しか残ってないこの状態でもう一人の面倒まで見れたものではない。大体近藤の場合は不意の人災のようなものだが、土方の場合は自発的にこの状態に陥ったようなものなのだから、沖田から言わせれば益々知った事では無いのである。
 然し並居る隊士の中でも、殊更屈強で頑丈に出来ている近藤を一発で叩き伏せるとは、見目に反して恐ろしい上に容赦無い女だ、いっそうちの新人にも見習わせたいと可笑しなところに感心を覚えもする。と同時に、そんな豪腕怪力女を菩薩のようだと称賛し恋情を抱く近藤の趣味というのは、全くもって理解し難い、とも。
 
 
「隊長、こっちはどうしますか?」
 
 
 言われた方を見ると、銀髪頭が大の字で転がっていた。確か土方と飲み比べをしていた張本人だ。
 土方同様すっかり酔い潰れてしまっているようで、沖田はこの大人どもは何やってんだ本当にと、呆れると同時に流石に少し苛ついて来た。
 
 
「このお人の連れは?」
「いえ、それがいつの間にか先に帰っちゃったようで…」
「何でィそれ、全く無責任だなァ」
 
 今まさに上司を置き去りにしようとしている自分の事は、綺麗さっぱり棚に上げて言う。
 一々処置を考えるのも面倒臭くなってきて、これも土方と一緒に適当に放置してくかと思ったが、一応自分は警察官で、こっちは腐っても(?)一般市民だしなあと僅かな職業意識で思い直した。
 
 
「おーい、起きて下せェ」
 
 言い乍ら銀色頭の近くに屈み込んで覗き込む。顔を寄せればむっと鼻を吐く酒の臭いに眉が寄る、どんだけ飲んだんだと三度呆れた。
 大体酒は好きだし歓迎だが、酔っ払いは好きでもなんでもないし介抱なんて柄じゃないのだ。
 
「お客さーん、終電ですぜー」
 
 仕方なしに今度は肩を掴んでゆさゆさ揺さぶってみるが、大した反応が見られない。
 じゃあ名前を呼び掛けてみようとして、そういえば自分はこの男の名前を知らないなと思い至る。確か連れに銀なんたらとか呼ばれてたような気もするが、自分もチャイナ娘との勝負に熱中していたので、あまり身を入れて聞いていなかったのだ。
  
「旦那ァ、もう宴会は終わりましたぜ。いい加減起きなせェ」
 
 この際名前なんていいかと思い直して、顔を覗き込みながらもう一度揺さぶるが、矢張り反応が鈍い。
 さてどうしたものかと思い、顔を上げて改めて寝入る銀髪男を見下ろした。
 
「…凄ェ天パ」
 
 天パはともかく銀色の髪とは珍しい、天然だろうか。
 自分の毛色も珍しいと良く言われるが、これはそれ以上だと思う。
 そんな事を考えていたら、何となくもしゃもしゃした銀髪頭に手を伸ばしていた。くるくるした毛先を指先で摘んで引っ張ってみる。
 
「旦那」
 
 指先で僅かに触れただけだが、思った以上に柔らかい。めいめい自由気侭な方向に畝っていて、まさにこの男って感じだなあとかぼんやり思う。尤も沖田は今日を含め、数える程しかこの男を見ていないのだが。
 自分には無い不思議な手触りの髪に、もうちょっと触れてみたい気がしたが、男の髪にべたべた触りたいなんて何だその血迷った考えはと、我に返って慌てて手を離す。
 誰にともなく居た堪れない気分になり、身体を離そうとした刹那、不意に伸びてきた手にがっしと手首を掴まれ沖田はぎょっとした。
 銀髪頭の手だった。
 
「あ、あの」
 
 予期せぬ行動にらしくなく動揺し、発した言葉にも驚きが滲んでいて沖田は内心舌打ちした。
 今の今まで寝入っていた酔っ払いの癖に、何だってこんな力が強いんだと思っていると、手首を掴んだ侭の男の目がぱかりと開き、まじまじと沖田を映す。蘇芳の眼に自分が写り込んでいるのが分かり、余計に居た堪れなくなった。
 
「…ー」
「え?」
 
 銀髪男の口が動いて何か言葉を発したようだが、微かで聞き取れず、沖田は眉を寄せる。
 花見の最中とは違う、死んではいない、妙に力強い視線に戸惑った。
 
「旦、那?」

 男は二言三言、何かを言った。
 だけど何を言ったのか、沖田は聞き取る事が出来ぬ侭戸惑っていると、微かに安堵したように相手の口元が緩み、其の侭すうと男は再び目を閉じてしまった。
 泥酔しているし、きっとただ寝惚けていただけなのだ。そうは思うが、彼が何を言っていたのか妙に気になる。
 だけど名前も知らない相手の、何ひとつ分からない状態に何とも言えぬ気持ちになって、沖田は茫然と再び寝入った男を見下ろした。
 
 
「沖田隊長、どうですか?」
 
 後ろから隊士の声が掛かった事にはっとして、沖田は焦り乍ら掴まれた手を振り解く。
 その手首に血が集まっているかのような感覚を覚え、酷く落ち着かない。
 
「駄目だなこいつもすっかり潰れちまってら、当分起きそうも無ェよ」
「そうですか。じゃあどうしましょう?」
「ああもう面倒臭ェな、オイこれもニコ中と一緒に其処の自販に突っ込んどけ」
 
 落ち着かない侭の気分を周囲の隊士に悟られないように、今度こそ身体を離しながら早口で沖田は言う。何で此処まで動揺しているのか、自分でも酷く不可解だった。らしくないなんて物じゃない。
 先刻と同様、酔っ払った連中に銀髪が担ぎ上げられてる様子を傍目に、まめまめしく塵を片付けていた山崎が話し掛けてくる。
 
「いいんですか?あれ」
「知らねーよ、大体酔っ払いの介抱なんさウチの仕事じゃねえっての」
 
 苛立ち紛れか、それとも動揺から来ているのか、知らず半ば吐き捨てるような言葉遣いになっていたが、そんな事に構っていられない。。
 畜生、心臓が煩くて仕方無いと余計に焦りを覚えた。
 
 
「俺、先に帰る。ちゃんと後片付けしとけよ」
 
 
 言いながら踵を返し、その場から足早に離れる。
 具合でも悪くなったのか、一人で大丈夫かと心配気な山崎の声が背に振ってきたが、振り向く事もしないまま一人で大丈夫だと大声で返した。
 大声を張り上げるなんて更にらしくない、あの妙に勘の鋭い年上の部下に何か気取られやしないかと思ったが、今はそんな事に構っていられなかった。今はさっさと此の場から離れたい。
 
 
 先刻掴まれた感触が未だ消えない手首が、嫌にじんじんと痺れたように熱い。
 まさか痕が残ってるんじゃないかと思って、沖田はそっと視線を遣るが、見れば何ともなってなどいなかった。
 
 なのに、如何して。
 
 
  
 ひらひらと花弁の落ちる中、宵闇の中を何かを振り切るように沖田は足早に駆けていた。
 
 
 
 
 
 
 
2009.10.12












 懐かしのJC3巻ネタ。
 銀沖とも言えない銀←沖。
 この頃のまだまだ距離感のありまくりな万事屋と真選組の構図はツボです。
 そして当時の今以上に掴み所のない沖田も好きです。