「誰を斬ればいいんで?」
 
 
 そうやって
 いつも、お遣いものはなんですか?とでもいうような口調で彼は問う。
 
 
 
 
 
 
 
 闇に手招く
 
 
 
 
 
 眼光鋭い黒髪の男と、対称的に見目だけなら柔和な印象を与える蜜色の髪の少年。
 監察方である山崎はその二人の上司の様子を、一歩下がった状態で見ている。
 
 黒髪の上司は昼間は少年に対して怒鳴り散らす姿も珍しく無いのだが、今は囁きのような小声になっている。会話の内容故に自ずとそうなるのだろうか。
 淡々とこれから赴く「仕事」の指示を与え、少年もまた昼間のように減らず口を聞く事もなく大人しく聞き入っている。
 夜半をとうに過ぎてい為、酷く静かだ。薄暗い部屋の中、山崎の耳は上司の潜めた声しか捉えず、つきんと耳鳴りがした気がした。
 
 
「出来るな」
 
「はい」
 
 一通りの指示を終え、改めて確認するような土方の言葉に、沖田はこくりと素直に頷く。
 それからにっこりと笑んだ。この場に於いては不自然な程に、邪気の無い笑み。

「てか出来るな、じゃなくて『やれ』でしょう?」
 
「…」
 
 ねえ土方さん、という口調には棘は無い。そのにこにこと笑う顔は、何処か楽しげにも見えて傍目にも内心戸惑ってしまう。幼く笑うその表情を見ると、まるで彼等はたのしい遊びの計画を立てているかに思えるのだ。

 だけど、違う。

 
 彼等は、人を殺す話をしている。
 現に楽しそうに笑っているのは蜜色の髪を揺らす少年だけで、目の前の黒髪の上司の顔は沈鬱でこそ無いが、だからと言って晴れたものではない。土方はちゃんと理解しているのだ、此れは笑って話す内容などでは無い筈だと。
 
 なのに沖田は何故笑っているのだろう。
 他の誰でもなく、これから手を下す役は自分自身だというのに。
 
 
 
 
「まァいいや。難しい事は置いといて、つまり居る奴は全員始末すりゃいいんですね?」
 
「そうだ」
 
「分かりやした」
 
 土方から言葉少なに再度指示されると、またにこりと沖田が笑ったのが見えた。
 それを見る土方は対照的に眉ひとつ動かさない。動かさない、というより強張っているようにも見える。
 
 同じ表情の侭の土方に、もう行けと促されると、へーいと間延びした返事をして、すっくと立ち上がった。 

「案内、宜しく頼まァ山崎」
 
 
 
 此方を向き直った表情には、矢張り翳りなど微塵も浮かんでは居ない。
 
 正座した膝の上、置いた両の手を気付くと緩く握っていた。
 
 
 
 
 
 * * *
 
  
 
 月も無い夜だった。
 
 何もかも黒に沈んでいて、ああこういう日には酷く似合いだなと薄ら思う。
 闇に紛れて人を斬る。討ち入りとは異なり、は文字通り『消す』という言い方がしっくりする。
  
 ちらりと傍らを見れば、闇には不釣合いな陽の光を閉じ込めたような色をした髪が揺れていた。どうやら彼は人より夜目が利くらしく、闇の中だというのに足取りは軽く、足音すら碌にしていない。
 
 日頃あれほど周囲を騒然とさせているというのに、沖田は組内において、最も『こういった』任務に適していた。
 こういったー正面から堂々と討ち入るような形ではなく、極秘のつまりは世間に知られたくないような『後ろ暗い』、裏の裏の仕事。表立っては都合の悪い事がある証拠。
 真選組より上の人間からの指示で動かされる時もあれば、土方の判断の時もある。いずれも誰にも知られぬように極秘裏に、かつ自分達の仕業と世間には決して悟られぬよう始末する事には代わり無い。
 場合によっては局長の近藤ですら把握して無い事もあった。あの人のずば抜けて良い上司はこういった行為を酷く好まない、竹のように真直ぐな気質故、隠し立ても不得手なのだからそれも、隠し立てするのも致し方無いと土方は言う。

 実際、計画を立て指示をするのは土方で、其処に行き着く迄に周到に調べ上げるのは自分を含めた監察方。そうして土方の指示に従って、最終的な行動を起こすのが沖田であるのが常だった。
 御膳立てするのは監察の仕事だが、実際に手を下すのは腕の立つ者。監察としての任務なら誰にも引けを取らないと自負出来るが、実戦の部分になると残念ながらそうも行かない。
 適材適所、という事なのだろう。

 
「中、何人居んの?」
 
「六人です」
 
 山崎が侵入の手筈を全て整え、これから踏み込もうとしている屋敷の数尺前で、傍らの少年が尋ねてくる。
 興奮や緊張といったものを感じてる風でも無い、普段と寸分違わぬ淡々ともした声音である。
 
「やっぱり俺も一緒に入りますか?」 
「ん、いいや。下手に人数居ても邪魔だし。5分くらいしたら入って来てくれィ」
 
 終わらせとくから、と言う沖田の言葉の意味を思うとひやりと背中が冷たくなる。
 
 
 数多の事柄を割り切らなくてはこの仕事は務まらないと思っているし、既に大概の事ではそう動じない。だけど今でも時々、この最後の役目は沖田ではなく、他の者にさせる訳にはいかないのかと考えてしまう。
 現にそう土方に進言しようと思った事も幾度かあるが、だけれど沖田以上にこの役目に適している人間もまた思い当たらない。そもそももっと適任の人間がいたのなら、あの上司がとっくにそうしてる筈だった。
 故にそんな矛盾した考えに襲われながらも、結局は何時も何も変わらぬ侭に、、この自分より年若い上司をただその血塗れの場へと案内するしか出来ないのだ。
 
「沖田隊長」
 
「なに?」
 
 呼び掛けに振り向いた顔はまだ何処か幼い、子供じみたものだった。。
 
 
「お気をつけて」
 
「うん、分かった」
 
 先程の土方への態度と同じく、酷く物分りの良い子供のようにそう言って沖田は頷く。
 まるで異なる状況の筈なのに、その仕草は『外から帰ったら手を洗いなさい』『寝る前には歯を磨きなさい』そんな事を言われたちいさな子供の様子を髣髴とさせた。
 
 
「んじゃ、行ってくらァ」
 
 言って、ひらりと踵を返す。
 何処か弔い装束を彷彿とさせる、真黒い着物と袴。闇の中で沖田の蜜色の髪だけが仄明るく光って見えたが、それも彼が軽い足取りで数尺も 進むとすべて黒く塗り潰されて見えなくなった。
 『ちょっとそこまで散歩に』とでもいった風情で、彼は闇の中に消えて行った。
 
 
 指示された時間が訪れるのを、出来る限り無心に待とうと努めるが、そう意識すればするほど上手くいかない。
 半ば諦めの混じった気持ちで息をひとつ吐くと、暗がりの中でも白く煙ったのが分かる。
 
 
 
 はじめて沖田に出会った時は、彼がまだ十五か十六か。今よりずっと幼い印象の、まさに少年としか言えない歳の頃だった。そんな彼が武装警察の幹部だなんて言われても俄かに信じ難かった位だ。
 その上組最強の剣士と謳われ、その腕前故に斬り込み隊隊長を務めている、だなんて。

 だけど確かに彼は人を斬るために此処に居るのだと。
 其れを理屈でどうこう考える間も無く、否応無しに理解させられるまでそう時間は掛からなかった。

 其れから間も無く、屍の山と血溜りの中で、己の身体をも真っ赤に染めて立たずむ彼の姿を見た時に、理解せざるを得なかった。

 ぞくりとしたのを覚えている。
 仄かに光る髪をまだらに染めた子供の顔。其処には何の表情も浮かんで居なかった。

 俄かには目の前の光景が信じ難く、呆然とその場に佇んでいた山崎に気付くと彼はいつものように名を呼んだ。
 特有の訛りの混じるその声には震えも掠れも感じられず、何時もと寸分違わぬものだった。


 感情や感覚とは不思議なものだ
 例えば、『喜怒哀楽』のどういった感情が喜でどういった感情が怒なのかなんて、一体何時誰に教わって理解したのだか分からない。はじめては何時、どうやって?そんなものは覚えていない。きっと人間の大半はそうだろう。
 気付けば知っていた、理解していた。そんなものではないだろうか。


 時々思うのだ。
 彼は贖罪も懺悔も恐怖も、いつでも何も感じていないという顔をしているが、それは単に彼自身がそれに気付いてないからじゃないかと。
 そんな事があるだろうか、感情や感覚はもっと根源の本能的なものだ。理屈でどうこうするものでは無い。そうも思うけれど、そんな考えをどうしてか打ち消せない。

 闇に紛れて
 まるで戯れのように人を斬る姿からは、本来其れは大多数の人間が畏怖や懺悔の念を抱くものだということを理解していないように思えた。
 
 
 きっと、今も。
 
 
 夜半の外気は肌寒い。
 微かに身震いしながら、胸中に涌いたどす黒い、べたりとした罪悪感にも似た不快な感情をも飲み込んだ。
 
 
 
 そしてきっと、
 自分が今こうして感じている以上に、常にあの黒髪の上司は彼に対してこれと酷似した感情を抱き、その都度その想いを殺しているのだろうと思った。
 
 
 





2010.01.29







ある意味山土といえなくもない。
本当はこの後土方が出る予定だったんですが無駄に長いのでひとまず取り止め。
気が向いたら追加します。

新年一発目からどん暗ですいません