身体が怠い。
 
 
 煙草の匂いが染み付いた布団の中で、目覚めた沖田がは真っ先にそう感じていた。
 
 ゆっくりと目を開くと、部屋の中は既に大分明るい。この布団の持ち主で部屋の主でもある人間も室内には居ないところからすると、どうやらとっくに朝の勤務開始時間は過ぎているのだろう。
 寝呆け半分の沖田が、眩しさに目を細め乍ら緩慢に身動ぐと、不意に腰から下に痺れたような鈍痛が走った。
 
 一瞬何事だと思ったが、直ぐにに原因を思い出し、のろのろと緩慢に身体を動かして息を吐く。
 元々寝起きは何時も以上に頭の働きが鈍いのだが、ぐるぐると原因にあたる事柄を記憶の棚から引っ張り起こした。かちりと頭の中で鍵が嵌ったような感覚。
 
 
(あァ、そうだっけ)
 
 思い出した。
 
 端的に言ってしまえば、昨夜自分は土方と寝たのだった。 
 だから身体は此処まで怠い上に、沖田はこうして現在土方の部屋の、土方の布団の中に居たのだ。
 
 状況を把握すると、安堵した為なのかぐぅ、と腹の音が鳴る。身体が怠いのと食欲は別物だったようだ。
 さてどうしようかと思ったが、この様子ではもう朝餉の時間はとっくに過ぎているだろうし、何より身体が怠いので身支度して食堂まで行く気が全く起こらなかった。
 それ位なら空腹に耐えて、もう暫く眠っていたほうが良い気がする、と 改めて身体を布団に沈めた。
 普段は口喧しい部屋の主も眠っている自分を其の侭にしていたところをみると、今に限っては此の侭惰眠を貪ってもお咎めは無いだろう。
 
 
 寝返りを打とうとしても身体が軋むような痛みを覚え、諦めて枕に顔を埋めた。
 抱かれるという行為がこうも身体に負担があるとは予想外だった。何しろ沖田にとっては初めての事だったので完全に予測を見誤っていたようだ。おまけに土方も男相手というのはどうやら初めてだったようで、其の所為もあって余計に負担が増してしまったのかもしれない。
 初の試みだったので比較対象が無いのではっきりと分からないが、自分は決して乱暴に扱われた訳ではない、と思う。寧ろ丁寧に扱われた気がするのだが、それでも身体に掛かる負担は想像以上に大きかったという事だ。
 
 
(然しあの仕事の鬼が珍しいにも程があるねィ)
 
 部屋の外から隊士達が慌しく動く様子が聴こえてきた。とっくに勤務時間だから別段不思議は無いのだが、それを言えば本来は沖田も今日は朝から通常勤務の筈だった。にも関わらず、普段真面目に仕事をしろと口癖のように言う上司が未だに自分を放置しているのだから、雨どころか雹でも降るんじゃあるまいか。それともあの男なりに自分に気を遣っているのだろうか。
 だとしたら心底似合わねえ、と沖田は滑稽な気分になった。
 そういえば今こうしているのは、未だ薄暗い時分に『怠い』と感じる侭に口に出していたら、土方は何処かバツの悪そうな仏頂面で『今日の仕事は午後からで良い』と言ったからだったか。
 
 それにしたって行為自体は合意だったのだから、其処に土方が負い目を感じる必要など何ひとつ無いのだ。沖田も身体が辛いと思いはしても、別に相手に怒りや不満を感じている訳では無い。
 身体が怠いし辛いのは事実なので、上司公認で休んでいられる事が幸運なのは確かだが、そんな気回しは有り難さ以上に薄ら寒くも感じてしまう。
 それとも、沖田の怠さの原因の一因を担っただけに、相手も思うところがあったのか。
 
 
 今度は極力負担が掛からないよう、そろりと布団の中で身体を反転させた。其の拍子に布団からも香る煙草の匂いを大きく吸い込んでしまい、自然と眉が寄る。布団にまで染み付くとは、普段この布団を愛用している彼は一体どれだけ煙草を吸っているのだと今更乍ら呆れてしまう。
 元々沖田は煙草の匂いは別に好きではない、なのに今はこの匂いで不思議と落ちつくのを感じ、疑問に思う。
 ぬるま湯の中で揺蕩う様な安堵感を覚えるのは、昨夜ずっとこの匂いが傍らにあったからだろうか。
 そんな事を考えて、我ながら柄でも無さ過ぎると又可笑しくなってしまう。
 
 寝起きの所為なのか身体の怠さの影響なのか、未だ頭の隅が未覚醒な状態で再度昨夜の事を反芻してみた。
 
 全ての事が済んだ後『何で寝た』と自分の事を棚に上げて此方へ尋ねてくる土方に、沖田は一言『興味があった』からだと答えたら、相手は実に解せないというような表情を浮かべていたのを思い出した。
 自分とは対照的な男らしい秀麗な顔に浮かんだ其の表情を見て、どうやら沖田は受け答えを間違ってしまったらしい事と、結果として土方には何か誤解を与えたようだと気付いたが、訂正するのも面倒で放っておいた侭だった。
 
 沖田自身は決して男と寝る行為自体に興味があった訳ではなく、あくまで興味があったのは『土方が誰かを抱くときはどういう風なのか』、という事だったのだ。だがどうやら答えを端折り過ぎた所為で、土方には前者と取られたようだ。
 もし男好きの淫乱だとか思われてたら、ちょっと嫌だなあと他人事のようにぼんやり思った。まあ自分は初めての経験だったので、当然そんな事実は無いのだけれども。
 
(…まァいいか、別に)
 
 部屋の主の慢性化している煙草の脂の所為でやや変色した畳を眺めながら、其処は大した問題では無いだろうと思うことにした。少なくとも目的は達した筈なのだから。
 尤も沖田は女ではないので、平素土方が女を抱く時とは多少勝手が違ったのだろうが、流石に其れは致し仕方無い。
 
(でもなー、途中からはあんまり良く覚えて無ェんだよなァ)
 
 勿体無い、と情緒の欠片も無い事を思う。
 最初から最後まで慣れない事ばかりで、実際余裕なんて無かったのだから当然なのかもしれないが、そもそも一番の目的は其れだった筈なのだ。
 
 土方が女を抱くとき、どんな声音で囁き相手をどう扱い、どんな目で見るのか。
 優しいのか、力強いのか。もっと別のものなのか、其れが知りたかった筈なのに全て曖昧だ。
 
 誰かを抱いているとき、其処には自分の知らない土方の姿があるのかもしれないと、或る時不意にそう思ったら酷く感情がざわめいた。
 
 其処いらの遊女が知っていて、自分は『其れ』を知らないのだ。知らない土方の姿があるのだと、そう思ったら居ても立っても居られない気分になった。知らないという事に我慢がならないように感じた。
 其れは何故かも、胸の奥で酷くざわつく感情がなんという物なのかも一切分からなかったのだが。
 
 兎に角知りたかった、だから抱かれた。
 
 だから土方に訊かれて『興味があった』と答えたのだ、決して嘘ではない。だけど土方以外の男相手にそんな気は起こらなかったし、また今も其れは変わらない侭だ。逆に別の人間相手にと想像しただけで心底ぞっとする。でも土方だって同性なのだ、だけど前も今も嫌悪や後悔めいた気持は微塵も感じ無い。一体何が違うのだろう。
 沖田は自分で疑問に思うが、やっぱり何故なのかは分からない。
 
 そして目的は達せられて自分は満足したのかと問われれば、沖田は其れすらも分からなかった。
 
 
 微かに覚えてるのは、抱かれてる最中、普段からは想像が付かない程丁重に扱われ、あの心地良い低音で熱っぽく自分の名を囁かれたような、そんな記憶。
 日頃からは想像も出来なかった甘いと言っても良かったはじめての感覚。
 
 向こうはどういう意図で自分を抱いたのかは分からない、酒に酔っていたからか欲求不満でも溜まっていたのか、はたまたその両方か。それとも他の感情や思惑があったからなのか。
 土方の真意を知りたい気もしたが、そんなものは聞くだけ野暮だとも思う。肯定的な答えをしろと押し付ける気は毛頭無いが、それでも男の自分を抱いた事を後悔していると言われでもたら、流石にあまり嬉しくはない。
 
 だけど、どうして、と。何度目か分からない疑問と不可思議な感情が頭を擡げる。
 答えが解らない事を考えているのが煩わしくて、沖田は目を閉じる。
 
 
 
 ひとつ知れば分かると思ったのに、余計に何も分からなくなった。そう思った。
 
 
 
 
 



『文目の間・弐』




2010.05.01







土沖オンリで押し付けたペーパーに載せた話を手直ししたものです。
だいぶん前にアップした『文目の間』の続きにあたる話でした。
一応カプオンリー配布らしく偶には出来ちゃってる設定で、というのが当初の目的だったのだが色々未満で不発。